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    石田博にひろがる風景

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石田博にひろがる風景

2016年A.S.I. 世界最優秀ソムリエコンクール アルゼンチン大会を終えて

2016年「A.S.I.世界最優秀ソムリエコンクール」アルゼンチン大会まで、挑戦する姿を紹介し続けたい」というWINE-WHAT!?からのリクエストを快諾してくれた石田博さん。
本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
これからはじまるインタビューはそのアルゼンチン大会終了後におこなったものです。
取材、原稿は石田さんの最大限の理解者のひとりであるワインジャーナリストの柳忠之さんにお願いしました。(WINE-WHAT!?編集部)

取材・文/柳 忠之

2013年から始まった再挑戦は、幕を下ろした

4月19日、アンデス山脈の麓、アルゼンチンのメンドーサ市内にある歴史的な劇場テアトロ・インデペンデンシア。これか ら行われる第15回世界最優秀ソムリエコンクールの公開決勝を前に、準決勝に進出した15名の選手が呼び出された。そこには日本代表の森覚、アジア・オセアニア代表の石田博の姿も見えた。第13回チリ大会の覇者で、今大会の進行を務めるジェラール・バッセが、決勝に臨む3名の選手番号を読み上げた。そこにふたりの番号はなかった。2013年から始まった石田の再挑戦は、ここで幕を下ろした。

この結果について自らは、「妥当」と結論づけた

準決勝の実技審査を振り返ってみると、石田のパフォーマンスは決して悪くない。ブリニの上に山羊乳チーズとスモークサーモンを載せたおつまみに、用意された赤白どちらのワインを勧めるかという課題では、的確に白を選んだ。この審査、じつはどちらを選んでも、出題者は「もう一方のほうがいい」と切り返してくるので、それに対応しなければならない。石田は出題者が切り返す前に、先手を打った。白を勧めたうえで、「しかし黒胡椒、コリアンダー、キャラウェイなど、何かスパイスを加えたなら赤ワインでも合うでしょう」と主張したのだ。これには出題者のほうが戸惑ったほど。

次の課題は少々トリッキー。一脚のグラスにワインが注がれており、次のような出題がなされる。「お客さんがこのワインを重要なパーティに使うことに躊躇している。ワインを特定し、そして正しい選択であることをお客さんに対して説得せよ。まず1分与えるのでワインを味わう前に好きなように質問して状況を把握し、次の4分で説得しなさい」。質問の内容はほぼ問題なし。欲を言えば年齢や男女構成比まで尋ねるべきだったかもしれない。ワインはどうやらフィノタイプのシェリーのようだが、石田はヴァン・ジョーヌと答えた。間違えやすいワインとはいえ、なにも自らハードルを上げなくても……と思う。

次のバイザグラスで提供可能なポートワインを選ぶ課題は問題なくクリア。続く酒精強化したアルゼンチンのマルベックのサービスでは、いくら出題者が「簡単に」と言ったとしても、ワインの説明が短すぎたか。最後はメンドーサにやってくるワインラヴァーを誘致する提案。提案の内容がワインや飲み物に集中しすぎた感はあるものの、ビールやマテ茶の魅力まで紹介したことは、得点につながっただろう。

大会を締めくくるガラディナーの席で、最終結果が発表された。石田の順位は13位。準決勝の結果には準々決勝の得点が半分加算される。準々決勝のサービス実技では、テーブルの上に置かれたグラスの中に少量のワインが残っているというトラップが隠されていたが、石田はこれを見抜けなかった(石田の名誉のために付け加えると、石田の審査の際、グラスの中に残されたワインの量が極端に少なかったという指摘がある)。これが響いたのか、振るわなかったという筆記試験が響いたのかは定かでない。この結果について石田は、「妥当」と結論づけた。

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〝今何やってるの?〟と声をかけられ、ふつふつと闘志が湧き上がってきた

そもそも石田が16年の沈黙を破り、ふたたび世界最優秀ソムリエコンクールの舞台に立つ決意を固めたのはなぜなのか? それにはさまざまな理由が複合的に重なったからだと、石田はいう。

「2013年に東京で行われた世界最優秀ソムリエコンクールの直前に、国際ソムリエ協会の共通ディプロマの試験がありました。慌てて勉強して受験したにもかかわらず手応えがあった。まだまだ錆びていないぞと思いました。一方、その大会では出場する森(覚)君のサポートに回っていましたが、ホームで周囲の期待が高まる中、その緊張を解きほぐせなかった。私が一緒に出たほうがよいサポートになるのではないか。そう思いました。結局、その時のコンクールでは、私が3位入賞した2000年のモントリオール大会で準優勝だったパオロ・バッソが悲願の優勝を果たした。その彼から〝今何やってるの?〟と声をかけられた時、ふつふつと闘志が湧き上がってきたんです」。

その時の気分を12年のブランクを経て現役復帰したクルム伊達公子に重ねる石田。もちろん、本人の意思は固まっても、 環境が整わなければ世界一ソムリエなど狙えないことは十分に理解していた。しかしながら、レストランの支配人を辞めてフリーの立場でいたことや、最大の懸念であった家族の理解が得られたことから、3年がかりの挑戦を決意した。

結果的に世界一の夢は果たせなかったが、この3年で石田が得たものは大きいという。まず第一に学ぶことの大切さに改めて気付いたこと。職場で日々のルーティーンをこなすだけで満足した生活を送っていると、ついつい学ぶ努力が疎かになる。しかし、日本というガラパゴス的な視点でソムリエという職業が成り立つはずもなく、世界水準を意識するのであれば、つねに情報をアップデートする 努力を怠ることは許されない。

また学ぶ姿勢にもつながるが、グローバルな視点や感覚をもつことができたことも石田にとって大きな収穫だった。

「ワインをテイスティングするときに、頭の中に世界地図がバッと広がるようになりました。これは今回会得した技術のひとつでしょうね」。産地の情報や造り手の傾向が正確にインプットされていれば、より正確なテイスティングが可能になると石田はいう。

「3年間世界中を旅して、いろいろな国のソムリエやMW(マスター・オヴ・ワイン) らと接して、価値観の違いに気がつきま した。ちょっと青いだけで、あ、それメトキシピラジンと言って否定する人もいる。どのようなワインを評価するのか、あるいは否定するのか、いろいろ異なる意見がある。グローバルな見方というのは決してひとつに集約されたものではなく、視野を広くもつことだと思います」。

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今回得たものを、次の日本代表にフィードバックしたい

そして精神的にも体力的にも強くなったこと。スペインのプリオラートでパオロ・バッソとばったり出会った際、彼がこんなことを言ったという。

「コンクールを目指す者は、真っ暗なトンネルの中をひとりで走ってるような状態だ。隣のトンネルでも誰かが走っている。 でも彼が自分の前を走ってるのか、後ろにいるのかわからない。だからひたすら 前に進むしかない」

コンクールはメンタル面での強靭さが求められる競技であり、この3年間でかなり身につけることができたと石田は喜 ぶ。

では3年後、石田に4度目の挑戦はあるのか? 彼はそれを否定し、それよりも次の世代のサポートに回りたいという。
「錦織圭しかり、石川遼しかり、アスリー トがみな海外で研鑽を積んでいるように、ソムリエも海外に出て行かなきゃだめです。今回優勝したアルヴィッド・ローゼングレンも、3位のジュリー・デュプイも海外で働いている。今から私がそれをできるかといったら、現実的には難しい。今回のコンクールで自分が得たものを、次の日本代表にフィードバックしたい」。

コンクールは退路を断ち、覚悟をもって真剣に取り組むものと石田はいう。「そこまでやって初めて、自分にとって新たな世界が見えてきます」。

3年後、石田のサポートを受け、世界の大舞台に立つ日本人ソムリエは、いったい誰なのだろう。そして石田本人は、どのようなソムリエになっているのだろうか。

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1969年東京都生まれ。1996年第1回全日本最優秀ソムリエコンクール優勝。1998年第9回世界最優秀ソムリエコンクール日本代表。1998年第2回全日本最優秀ソムリエコンクール優勝。2000年第10回世界最優秀ソムリエコンクール第3位。2010年東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞受賞。同年全日本最優秀ソムリエコンクール優勝。2015年アジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールで優勝。そして2015年世界最優秀ソムリエコンクール準決勝進出。13位。

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