明治の文豪・国木田独歩のひ孫にして、元女優がつづる、曽祖父の小説と同名のパリ便り。その第2回。

愛犬のクライド君と

今日は何も起こらない、とても退屈で、穏やかで、静かな1日でした。私は、そういう日が本当はもっとも大切な日なのだと思う。

つまり、心身ともに休まる日だから。

ましてや、春先のぽかぽかと日の光の気持ちのよい午後などは、ぼんやりと過ごすには最高。

そんな日は散歩に出かけるがいい。大まかな行き先だけ決めて、後はアドリブを加えてながら、瞬間の思いつきと心のフワフワにまかせて行く。気ままに足に方角を決めてもらう。

ある日私はパリ19区のビュットショーモン公園に行くことにした。この公園は全体に起伏が多く、小高い丘あり、人工湖あり、鍾乳洞に滝まで流れている。広大なランドスケールを誇る、堂々とした公園だ。

その上、パリには珍しく犬も入場を許可されている。もちろん、私も愛犬の芝犬、クライド君と公園の近くに住む友達と行くことにする。

日差しもぽかぽかとうなじに優しく、こころ浮き浮きと弾み、丘を登り、木漏れ日のまばゆい、まるで山道のような木立を進む。と、突然、巨大な人造湖が目の前に広がる。中洲まであり、その上、オベリスクまで建っている。ちょうど丘の頂点から湖を見下ろす感じになる。

絶景かな。

長い吊り橋が、こちらの丘から湖の向こう側まで、かけられている。

犬が走る、吊り橋の上を。私も引かれて走れば、吊り橋はグラグラと揺れる。かなりの揺れだ。そのあたりから、「何か……、こう……」不可解な気分になってきた。

隣を歩く友人にそっと、

なんか妙な感じがしない? この公園は?

と尋ねると、彼女もうなずいて、ウーん。何か暗くて重い感じがする。と答えた。霊感とは程遠い、鈍感極まりない友人が言うのだから、敏感な私の背筋をぐぐっと悪寒が走るのは、言うまでもない。ふと、見ると吊り橋と平行に石造りの橋がかかっていた。何やら、閉鎖になった橋だ。その橋につけられた名前を見た時に、ますます、ここは尋常な公園ではないな。と言う気持ちが募る。

その橋の名前は「自殺橋」だった。



禿げ山の丘

ビュットショーモンの「chaumont」という名前は、禿げ頭を意味する「chauve」と山「mont」の組み合わせから来ている。つまり、禿げ山。パリ郊外に位置し、植物の何も育たない不毛の地がこの公園の生い立ちにあたるが、時代を遡ること、13世紀からルイ16世が退くまでのあいだ、ここには絞首台が設置されていたと言う。それも何台も。

ルイ16世は1789年に没していらっしゃるので、なんと500年以上も、そういうわけだったのだ。

絞首台があったのだから、死体を埋葬したのも、ここに決まっているじゃないか。

と勘ぐるのは、私だけじゃないと思う。もしかしたら、あの人造湖の底あたりには……。

ところが、フランス革命以降になると、ビュットショーモンの丘は石切り場として切り崩され、パリ中心部の建築物はここで採石された石膏や珪石で建造されることとなる。19世紀には貴重な鉱石として、はるかアメリカまでも輸出され、この禿げ山は「アメリカ地区」と呼ばれるまでの栄光に輝く。驚いたことに、ワシントンの大統領官邸のホワイトハウスの一部も、ここで採石された石膏でできているのだ。

ここ前はよかったのだが、パリ市内になかったために、採掘物の肥料工場にされたり、ついには馬の屍骸を持ち込む場所として利用され、ゴミの山と貸したこの石切り場も、1860年をもって幕を閉じることになる。悲しいかな、禿げ山。これもカルマがなせることか……。

ところが、これで終わりにならないところが、禿げ山のしぶとさである。



ジョルジョ・オースマンのパリ改造計画

フランス第二帝政期には、ナポレオン三世率いるパリ都市計画の我らがヒーロー、オースマン(Gerges Eugene HAUSSMANN)の登場となる。本当にこの人のパリ都市計画の大改革は徹底したものがある。ジョルジョ・オースマンの指示により、シャンゼリゼこうえんやブローニュの森を設計したペイザジストのジャン=シャルル・アルファン(Jean-Charles ALFHAND)におり、荒廃したゴミの山は目を見はるような素晴らしい庭園に変身を遂げていく

ダイナマイトを使って岩山を削り、田舎から何トンもの肥沃な土を運び込み、千人以上の作業員を動員し、四季おりおりの樹木の人工的な植林をする。湖の水源はパリを流れる3本の運河から引き込み、洞窟を造り、滝を流す。

フランス庭園の典型のシンメトリーな、直線のラインとは対照的に、起伏に富んだ、ダイナミックで情緒豊かな、田園風公園の創造となった。

この大工事には3年の月日を要し、パリ万博と同年の1867年4月1日にオープンした。

その広さ24ヘクタール、ぐるりと周りには6カ所の入り口を持つこの大公園は、今でもヴィレット公園、チュイルリー公園に次ぐ大きさを誇っている。

波乱万丈ないきさつを持つビュットショーモン公園、現在はジョギングやピクニックを楽しむ人々、ボール遊びをする子供達、犬の散歩のご婦人、イーゼルを立て風景画に興じるアーティストなどでにぎわいを見せている。

でも、やっぱり、私は曇った日には寄りたくない公園だなあ、と思ってしまうのだ。

この記事を書いた人

KunikidaAko
KunikidaAko
東京都世田谷区下北沢生まれ、下北沢育ち。
幼稚園から中学までミッション系女子校に通う。
お茶の水文化学院美術科在学中に羽仁進監督の映画「午前中の時間割り」に出演。その後、若き母の急死に遭遇し、それを機にイギリス・ロンドンへ遊学の旅に出る。20年間のロンドン生活を終え、現在パリ在住。