オタフクソース代表取締役社長
佐々木直義の旅

あるいは旅人の故郷

ソースの原材料の買い付けに赴いたオーストラリアのトマト畑にて

もっと旅をしたい

2002年までアメリカに住み、オタフクソースの社長に就任したのは2015年。それまでは、専務取締役、国際事業本部長、そして、管掌役員として購買部も任されていた。それゆえ、さまざまな国とつきあい、ソースの原材料の買い付けもあって、世界各国を視察訪問している。

それだけ世界を旅してなお、プライベートでももっと旅をしたい、という。

「日本人は世界史を知らないし、外の世界への興味が薄いとおもう」とこぼす佐々木直義は、ひとがどこから来たのか、なにをしてきたのか、ひとのルーツに興味がある。

 そんなおもいが関係しているのか、本人は忙しい毎日を送りながらも、社員には「人生が仕事だけでおわっていては面白くない。自分の人生を大事にできることで、お客様からも支持をえられるようになる」として、働き方の改革をすすめている。現在年1回の長期休暇の取得を2回はとれるように、というおもいもある。

 長期の休暇であればきっと旅がおすすめなのだろうけれど、日常的には料理をすることもオタフクソースは提案する。特に、普段は仕事に追われている人には。

 「うちは、料理ができる社員が多い。特にセールスはお客さんを前にして、おいしい料理がつくれないようでは、仕事にならないから。でも、世の中には
料理ができない人が多いと思います」

人材育成に力をいれているオタフク。おもしろいのはお好み焼の普及には、まず社員がお好み焼の知識と技術をきちんと習得しよう、と「お好み焼士」という独自の資格があるところ。初級から上級まで3階級があって、2017年10月1日現在、509人の社員が「お好み焼士」の称号をもっているそうだ。

 「ここ、「WoodEgg お好み焼館」では、お好み焼教室はもちろん、焼そばをパパと一緒につくる、という企画も開催しています。うまくできない人もいるけれど、でも、やりはじめることが重要。男性が料理をすることで、女性の社会進出を助けるかもしれないし、子供とのコミュニケーションになるかもしれない」

WoodEgg お好み焼館にある昭和30年代のお好み焼店を再現した実物大の模型。広島お好み焼の原点だ

鉄板をかこむ

広島のお好み焼は、鉄板の下に丸型のバーナーをおいて焼いている。これだと鉄板の温度が均一にならず、中央から離れるほど、熱くない。だから広島のお好み焼は、複数人で鉄板をかこみ、中央で焼いて、完成したお好み焼を鉄板の外縁部に移動させ、鉄板を皿代わりに食べることができる。

 「お好み焼は、鉄板をかこんで、みんなであつまって、つくって、食べられる。食事しているときは、あんまりケンカにならないですよね。オタフクもそういう場所でありたい。みんながかこんで食べる場所がある会社でありたい。ワインもそうですよね。ひとりで飲むんじゃなくて、大勢で飲むと楽しい。それにワインはおいしい食事をもっとおいしくしてくれる。だから、お好み焼とワインは相性がいいとおもうんです」
 

 

ひとは故郷にあっては自分のルーツをあまり意識しないものだ。ところが、しばらくそこから離れると、自分がどこの誰なのかをおもい知らされる。もしかしたら、旅する広島人の郷土愛は、鉄板をかこんだ記憶とともに、お好み焼という形になってあらわれているのかもしれない。

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