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漆器 山田平安堂 四代目当主 山田 健太に聞く

勝てる漆器

WINE-WHAT!? 1月号の表紙の舞台となったバー「He & Bar」。今回は、そのバーを生み出した、宮内庁御用達の漆器商「山田平安堂」の4代目当主、山田健太に漆器のいまをたずねた。

山田健太
1972年生まれ。96年から山田平安堂代表取締役。現代のライフスタイルに合う漆器を提案する。産地直送の品や作家展も楽しめる代官山本店のほか、オンラインショップ、コレド室町店、GINZA SIX店も展開

山田平安堂とは?

WINE-WHAT!?1月号の表紙で、独特の色合いと陰影を見せた、あのカウンターや背景の壁が漆だったこと、気づいていただけただろうか。そのバーを生み出した「山田平安堂」の4代目当主であり、経営者として辣腕を振るう、山田健太に、バーをつくった理由を尋ねてみたーー

「僕は漆器屋のせがれだから子供のころから生活する空間のなかに漆があった。洋風の部屋でも、ちょっとしたところに。でもいまの日本人にとって食器としての漆器は馴染み深くても、空間のなかに漆がある、という経験は、あまりないんじゃないかとおもって。ほんのひとつの漆のものでも、あればその存在がライフスタイルを変えるかもしれない。漆のお椀から得られる感動とはまたちがう、漆のある空間を、提案しようとおもったとき、ホテルでは大掛かりすぎるから、バーがちょうどいいとおもったんです」

バーで夜の帝王になりたいというわけではないですよ、とニコニコわらう。代官山のヒルサイドテラスにある山田平安堂の本店は、冬の昼下がりにもさんさんと陽光がさして心地よく、母校、慶応義塾大学のアメリカンフットボール部助監督をつとめる強健な肉体の持ち主、山田健太のおだやかな人柄を反映しているかのようだ。

紫外線をきらう漆器をあつかう店としては異例のこの店舗を拠点とする山田平安堂の経営をまかされたとき、山田平安堂のビジネスは難局に立たされていたという。

「家業だから、いつかは継ぐだろうと漠然とおもっていましたけれど、大学まではスポーツばかりやっていて、卒業後、銀行に就職してサラリーマンになったんです。サラリーマンで出世してやろうとおもって。そうしたら25歳のときに親父がなくなった。銀行にいたから決算書が読めたのはよかったんだけれど、そのときの、山田平安堂はもう、十中八九潰れるだろう、という状況でした」

25歳。失うものはまだない。育ててもらった恩がある。と、経営者になる覚悟を決めたという。

1919年創業の山田平安堂は漆器業界では、まだ若い。だから、斬新な発想で時代をリードする漆器屋であることがそのDNAだ。代官山の店舗もそのあらわれのひとつ。いまでも斬新な店舗だけれど、すでに25年ほどが過ぎている。

創業者は絵が描ける人物だったという。いわば山田平安堂の初代デザイナーだった。自ら漆器をデザインし、他社とはちがう漆器を生み出した。

山田平安堂は産地を謳わない。販売する商品は自社でデザインし、それを生み出すのに適した職人に発注して、製品は全量買い取って、山田平安堂ブランドで販売する。

先代がプロダクトデザイナーのデザインした漆器のラインをうみ、経営が山田健太に引き継がれてからは社内にデザインチームが組織された。オンライン販売も約15年前にはスタートしていて、いまでは事業の柱のひとつにまで成長している。蓄積されている経験値が武器だ。バレンタインデーや母の日など、世間的には大きいだけれど、漆器屋には縁遠かったマーケットにもインターネットのおかげで参入を果たしている。

かくして、山田平安堂は業界No.1の漆器商として復活を遂げた。

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