アームチェア〝ワイン〟トラベラー Vol.1

そのとき、突然鶏が食べたくなった。

熱情が顔を出してきた

今は19時を回ったが、そうだなあ、似合う時間帯は夕方で、季節は、初夏あたりがいいかな。

恐らくもう半分は飲んだろう。ワインはやや温み、苦みや複雑さが出てきた。

雑味といっても、それは土や葡萄のたくましさであり、豊かさである。複雑な大地の息吹である。

最初の安堵感がもたらす静けさから、本来持っていた熱情が、次第に顔を出してきたのか。

そのとき、突然鶏が食べたくなった。塩蒸にした、鶏の胸肉がいい。

淡い滋味が伝わる、しみじみとうまい鶏を食べたい。そのうま味とこのワインを、引き合わせたい。

出来れば鶏は、皮が薄く、品がありながらうま味がたくましい、香港の龍崗鶏がいいな。

脆皮鶏という、熱い油をかけながら火を入れた、パリパリの皮としっとりした肉を楽しみながら、このふくよかなうま味を合わせるのもいいぞ。

あるいは、鶏ひき肉に調味した出汁を入れ、じっくりと火を入れた、鶏そぼろもいいかな。

酔いがほんのり回ってきたせいで、次々とマリアージュの名案が浮かぶ。

鶏肉の、品が良い滋味を口に満たしながら、ゆっくりとこのワインを飲みたい。

では誰とこのワインを飲みたいか? 実は飲み始めた時には、一人でもいいと思った。

しかしワインの素性が見えてくると、お相手は、ワイン好きだけど、マニアではない友人と飲みたいと思った。

ワインの感想を細かく語るのではない、おいしいねの一言で分かり合える友人である。恐らくワインの実直さが、そう感じさせたのかもしれない。

しかし終盤にかかった今、目の前には、唇がぽってりと厚く、情が深いがさばさばとした女性が、素敵な笑顔で微笑んでいる。

笑顔になるとえくぼが現れ、少女のような顔になる女性が、座っている。

なにもしゃべらず、微笑む顔と、見合った目だけで会話をしながら、鶏肉に齧りつき、肉汁を滴らせながら、このワインを楽しみ合う。

いいなあ。温度が温んで、雑味が顔を出し、豊かなる大地の法要を感じ始めたせいかもしれない。

優しさに満ちながら、人に媚びない、素直で芳醇なうま味が、広がってきたからかもしれない。

その感覚を誰かと共有し、共感したいと思い始めた時、自然に浮かんできたのが、先ほどの女性だった。

流れるBGMには、なにがいいだろう。そうだキース・ジャレットの「ザ・メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」を選ぼう。

素朴で純朴なメロディが、次第に美しさと輝きを増していく。妻へのクリスマスプレゼントとして演奏された曲は、静けさの中に、愛情が滲んでいる。それがこのワインと似合う。

自然体の純粋無垢な感情の中に、熱情を秘めている演奏が、まさにこのワインである。

我々の感情をそっと押し上げ、温かく包み込むところも共通している。

最後の最後にワインは、少しだけ妖艶さも感じさせた。

そうして最後の一滴の、別れを惜しむように、ゆっくりと喉に落ちていった。

いい夜を過ごせたかな? 穏やかな口調でたずねながら、静かに静かに消えていった。

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この記事を書いた人

マッキー牧元
マッキー牧元
立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、日々飲み食べ歩く。まさに、「食べるグルメマップ」。多くのアーティストの宣伝・制作の仕事のかたわら、1994年には、昭文社刊「山本益博の東京食べる地図」取材執筆、1995年には「味の手帖」に連載を開始するなど、食に関する様々な執筆活動を行う。現在も、「味の手帖」、「食楽」、「銀座百店」、「東京カレンダー」など、多数の雑誌やWebに連載中。日本テレビ「メレンゲの気持ち」、「ぐるぐるナインティナイン」などに出演。

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