ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア
さらに思い立ち、冷蔵庫に寝かせていたカラスミ西京漬とあわせてみた。ああこれはいけません。カラスミを齧り、ワインを飲む。途端にカラスミが卵感を出し、艶を帯びて、エロくなるじゃありませんか。
面白くなってきた。コンビニに走り、6pチーズとミックスナッツを購入する。合うと想像した6pチーズは、チーズが負け。一方ミックスナッツは、カシューナッツもいいが、アーモンドだろう。アーモンドの香ばしさとこのワインの甘さが、素敵な相性を見せるのである。
こうして楽しんでいると、あれだけ不安だったワインも、もう半分以下になった。
こいつはダレと飲もうか。もちろん美女であるが、美女すぎないほうがいい。どこか庶民の香りがありながら、魔性な影を感じさせる女性。
このワインのような、甘く、少女のような声をしていながら、蠱惑するまなざしを持っている人がいいなあ。
彼女は、たまらぬ目つきで見つめながら、「おいしいね」と、じっとり囁きかける。もうそれだけで男は、恋という奈落の底へ突き落とされる。
裕木奈江がいいかもしれない、でも当代一なら、大竹しのぶだろう。「ねえ、もう1本飲もう」。
なんていわれたら、何本も飲んじゃうぞ。
男は、いい女とワインの前では、とことんバカで、無力なのである。
ああ半分過ぎただけなのに、酔いが早い。アルコール度数が強いのか。それともワインの甘さに、アルコール分解能力が、骨抜きにされてしまったのか。
大竹しのぶと飲むなら音楽はなにがいいか。最初は、おなじかわいい子供のような声ということで、村上春樹も好きだというジャズシンガー、プロッサム・ディアリーがいいかなと思った。しかしなぜかワインの甘さと、マリアージュしない。大竹しのぶの声ともかぶる。
色々かけてみて、しっくり来た曲が2曲あった。1曲は、ボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」。本家でもガンズ・バージョンでも、クラプトン・バージョンでもいい。もう1曲は、北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」である。
まったく違うタイプである。しかし、死にゆく保安官の無常観を歌ったボブ・ディランと、細いナイフを光らせて、振った男の待ち続ける女性の情念を描いた阿久悠の曲が、このワインの甘美と合うのである。
できれば大竹しのぶと、大声で歌い合いながら飲みたい。そんな夢想をした。
どちらの曲にも営々と流れる、人間としてのやるせなさが、ワインの甘さに抱きかかえられる。その瞬間の切なさがたまらない。
それは恐らくこのワインが、表層の甘さだけではない、複雑な深みを持っているせいではないか。
酔っ払いの妄想か。そうかもしれない。でもぜひ、このワインと曲を合わせ、素敵な妄想をかき立ててほしい。
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