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ブルゴーニュのワイン名人が、ワインを造りに行くニュージーランドのワイナリー

プロフェッツ・ロック ポール・プジョルの話

ニュージーランド セントラル・オタゴのワイン造りの偉人、ポール・プジョルが「プロフェッツ・ロック」で造るワインについてのセミナーをおこなった。

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プロフェッツ・ロックのポール・プジョル氏。マスター・オブ・ワイン ジャンシス・ロビンソンが世界のワイン界をリードする5人のうちの1人と評した人物。人柄はとてもフレンドリー

コスモポリタンな醸造家

ピノ・ノワールの名産地として知られるニュージーランドのセントラル・オタゴは、実は商業的には1987年にはじめてピノ・ノワールのワインがリリースされたという若い産地。地理的には南緯45度にある。これは赤道と南極点との中間くらい。陸地はニュージーランドの南の先端と、南アメリカ大陸の南の先端くらいしかない。だから「セントラル・オタゴは小さく、孤立したワインリージョンだ」というのが、この地に1999年に創業したワイナリー「プロフェッツ・ロック」で醸造長をつとめるポール・プジョル氏。

ポール・プジョルはワイン造りの名人として世界的に高い評価をうけるワインメーカーだ。マールボロの「セレシン・エステイト」で醸造家としての人生をスタートした。それからフランスに渡る。そのときは、父親がフランス人ということも関係してか、すっかりフランスを気に入って、もうフランスから離れないと心に誓ったそうだ。サンセールの「アンリ・ブルジョワ」に所属したあと、アルザスの「クンツ・バ」にはいって、1795年の創業以来、クンツ家以外で初の醸造長となった。

アルザスと「クンツ・バ」への愛情と敬意は、いまも言葉の端々ににじませるポール・プジョルだけれど、3年をそこで過ごしたあと、結局、フランスから離れてしまう。今度はオレゴンの「レメルソン・ヴィンヤーズ」へ。そして2005年になって、故郷のニュージーランドに戻り、「プロフェッツ・ロック」の醸造長となった。以来、そのポジションに変更はないけれど、ポール・プジョルの才覚は、一所には収まらず。2006年にはオレゴンの「レックス・ヒル」で醸造コンサルタントをつとめ、2009年には、ジャンポール・ミュジニーの「コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ」で醸造を手がけている。

このポール・プジョルの国際的な遍歴におけるポイントはふたつある。その1、ポール・プジョルは旧世界的でアロマティックな白ワインが好きだ。その2、ヴォギュエの醸造長、フランソワ・ミエととても仲がいい。

プロフェッツ・ロックは、ロッキー・ポイント・ヴィンヤードという畑と、ホーム・ヴィンヤードという畑の2つの畑をもっていて、このうち、ロッキー・ポイントのほうでリースリングとピノ・グリを育てて白ワインを造っている。作り方はアルザス流。土壌がシスト、つまり岩だらけかつ急斜面ということもあって、機械化はされておらず、手作業でブドウをつんできて、6時間かけて、優しく全房プレスしているという。ブルゴーニュで使われるサイズ(228リットル)の10年ものの樽で発酵させて、このまま、翌年の収穫期まで動かさない。動かすと、「ワインが大げさになってしまう」という。ボトリングしたら1年寝かせて出荷する。これがポール・プジョルの旧世界的なアプローチだ。

「高低差がすごくて写真にうまく収まらない」というロッキー・ポイント・ヴィンヤード

土壌はシストロック。ミネラルに富む

ロッキー・ポイントではピノ・ノワールも育てている。こちらは、雑味を嫌って除梗はするけれど、そのあとは、ピジャージュ、つまりワインをかき混ぜる作業を一回だけする程度。なるべくワインに手を触れず、自然とブドウがワインに変じるのにまかせる。

これを、ポール・プジョルは、「ステルスなワインがいいとおもっている」という。それは人間の存在を感じさせないワインが、すくなくともプロフェッツ・ロックのワインとしては、あっている、ということで、たとえばロッキー・ポイントの畑はミネラル分が多いから、色素の抽出をやりすぎれば堅い感じになるのだそうだ。1ヘクタールあたり30から35ヘクトリットルと収量を低く保っているから、ブドウは凝縮している。畑の個性が強く、またそれがブドウの特徴としてよくあらわれていれば、醸造であまり手をかけないほうがいい。下手に手を加えるとしっぺ返しをくらう、という。

この話が、ポイントその2につながる。

ポールとフランソワ

「コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ」といえば、フランス、ブルゴーニュ、シャンボール・ミュジニーにて、世界最上級のワインを生む歴史あるドメーヌだけれど、その醸造長のフランソワ・ミエとポール・プジョルとは、ワイン造りのアプローチが近くて、気が合うらしい。

その信頼関係の結果、フランソワ・ミエの息子が2013年に1年半、プロフェッツ・ロックで働いていたそうだ。そこには父親のフランソワもやってきて、プロフェッツ・ロックの畑、ワイン造りを目にする。そして、フランソワ・ミエは、プロフェッツ・ロックのもう一つの畑、粘土と石灰の土壌のホーム・ヴィンヤードを気にいってしまい、その1ヘクタールの区画を自分用の区画として確保し、2015年から、プロフェッツ・ロックで1タンクだけのワイン造りをはじめた。

かくして完成した、ヴォギュエのフランソワ・ミエがプロフェッツ・ロックで造ったワインは、「キュヴェ・オー・アンティポード」、つまり、地球の反対側でつくったキュヴェ、という。プロフェッツ・ロックでは、同じ畑のブドウから、ポールとフランソワがそれぞれ別々にワインを造る。ワイン造りにあたっての、ポールとフランソワの「プロセスはほとんど一緒」だという。

2009年にポール・プジョル氏がジャンポール・ミュジニーの「コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ」で醸造を手がけて以来、フランソワ・ミエ氏とポール・プジョル氏は信頼関係で結ばれている

「フランソワもピジャージュは一回しかしない。これがその一回」。ポール・プジョル氏とフランソワ・ミエ氏はフランスの伝統的な手法でワイン造りをおこなう。そのスタイルは非常によく似ている

それでも、ポールとフランソワではできるワインがちがうのが面白いところ。これを「2人のシェフが同じ食材で料理しても同じ味にならない」とポール・プジョルはいう。ワイン造りの際には、さまざまな判断を迫られる。無数にある選択の折に、いつ、なにを選び取るか、これでワインは変わるのだという。

「フランソワのワインには透明感があって、シームレスだ。フランソワの考えがよく反映されている」

ただ、「キュヴェ・オー・アンティポード」のファーストヴィンテージとなる2015年は、まだ若いといえば若い。「10年は寝かせられるのではないか」というポール・プジョルだけれど、ポールの赤ワインには、同じホーム・ヴィンヤードのピノ・ノワールを寝かせたものがある、それが「レトロスペクト」だ。

2010年から、ホーム・ヴィンヤードの熟成のポテンシャルを知ろうと、ポールは、畑の区画を少しキープして、長期熟成させるワイン、「レトロスペクト」を造っている。最短でも5年は瓶で寝かせてから出荷しているこのワインは、樽を使わず、ゆっくりと時間をかけて抽出し、じっくりと熟成させる。優しく、なめらかなピノ・ノワールだ。生産本数はわずか700本程度だから入手困難だけれど、2012ヴィンテージにはミスター・ニュージーランド ワインのマスター・オブ・ワイン、ボブ・キャンベルが95点をつけているのだから、その実力や推して知るべし。

「フランソワ・ミエのような人が、セントラル・オタゴでワインを造るという事態が異例で、セントラル・オタゴはそれだけの産地なのだという証明になる」というポール・プジョル。ただ、レトロスペクトは、キュヴェ・オー・アンティポードと双璧をなすといっても過言ではないだろう。参考価格は前者が17,000円、後者が18,000円と近接する。高級品だけれど、フランソワ・ミエが手がけるコント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエのワインとくらべたとしたら、バーゲンセールだ。

セミナーの際に試飲として提供されたプロフェッツ・ロックのワイン。基本的にコルクを用いているのは、瓶内熟成を考えた場合、コルクのほうがよいと判断しているためだという。一番左のハーフボトルは「ヴァン・ド・パイユ」。セントラル・オタゴは乾燥した気候で、貴腐菌が育たないため、デザートワインが造れないことに悔しさを感じていたポール・プジョル氏は、フランス ジュラ地方のヴァン・ド・パイユの方式であれば、デザートワインが造れるのではないかと考えた。傷をつけないように収穫したピノ・グリを、45日かけて乾燥させ、30カ月かけて発酵させることで、完成させたプロフェッツ・ロックの「ヴァン・ド・パイユ」は、今後、日本へも入荷予定

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