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アンドレス・イニエスタ、ワイン造りを語る

サッカーファンなら「ボデガ・イニエスタ」の「ミヌートス116」で至福のひと時を

2018年にFCバルセロナからJリーグのヴィッセル神戸に移籍した、プロ・サッカー選手で元スペイン代表のアンドレス・イニエスタ。彼が所有するワイナリーのワインが日本リカーから発売になっているということで、「WINE-WHAT!?」がドン・イニエスタにインタビューした。

「ボデガ・イニエスタ」は夢の結実

ワイン造りで、大変だなと思っていることはなんですか? と聞くと、イニエスタは笑顔で腕を胸の前で組み、「僕はボスだから、みんなが頑張ってくれているのをこうやって見ているだけ。苦労なんてないですよ」と言う。その言葉からわかるのは、自分のチームを信じているということだ。

アンドレアス・イニエスタ。

サッカー界のスーパースター。そのキャリアは輝かしい。クラブチームで、スペイン代表で、世界の頂点に立ち、ファンを魅了した。Jリーグ、ヴィッセル神戸への移籍が世界的にも大きなニュースとなった。またシャイで優しく、情に厚い人。それも彼の人気の裏側にある。

「ボデガ・イニエスタ」は、イニエスタの夢の結実だ。

生まれ育ったフエンテアルビージャ村。人口は2000人に満たない田舎だが、ワインが生まれる場所としては優れている。バレンシアとマドリッドの間、カスティーリャ・ラ・マンチャ州、スペインワインの地域の区分でいえばD.O.マンチェラ。標高は700m~800mで、温暖な地中海性気候と高地、両方の影響を受け、複雑な土壌、年間を通した平均気温はやや冷涼、かつ十分な日照時間を持つ好立地だ。

祖父の代から10haを所有し、ブドウ栽培をしていた。2000年ごろから自分たち家族の名のワインを造りたいという思いが高まった。2001ー2002シーズン、トップレベルでのキャリアをスタート、記念となる収入は高級車や煌びやかな服ではなく、畑の購入資金として祖父へプレゼントした。そのころの様子を「ボデガ・イニエスタ」の現社長で、当時は畑の整備・購入のコンサルタントだったアグスティン・ラサロ・カバニェーロ氏が振り返る。

「少しずつ自社畑を増やしていきました。私もすぐそばの村の出身ですから、どこの畑になにが適しているのかなどはわかっていました。そして2010年、110haという良質な畑が整ったところでワイナリーの開設となりました」

いきなり夢を実現したわけではなく、コツコツと買ってきた畑なのだ。

 

アグスティン・ラサロ・カバニェーロ社長(右)と醸造責任者のエクトル・マルティネス・ヒメネス氏。お二人とも素朴で実直な人柄。

 

イニエスタと作品を造る

 

2010年、イニエスタはワールドカップ南アフリカ大会でスペイン代表の中心選手として優勝する。プレイヤーとして大きな夢を果たしたその年に、ワイナリー設立という夢も叶えたのだった。

もちろんワイナリー設立はゴールではない。そこからのワイン造りこそ、夢の始まりだ。

2011年に初ヴィンテージをリリースし、少しずつ質と量を向上させてきた2014年。エクトル・マルティネス・ヒメネス氏が醸造責任者として加わる。

 
 

「僕はまだ若かった。いくつかのボデガや協同組合で経験を積んでいましたが、自分の作品を造ってはいませんでした。オファーにはとても悩みました。僕にできるんだろうか。でもやはり、イニエスタと作品を造れるということが僕を動かしました。まだ若いワイナリー。一緒に挑戦できる」

彼もまた近隣の村の出身だった。ふるさとが彼にとっても新しい夢を追いかける場になった。「畑に25人、従業員が26人。この51人は全員この地域の出身です。新たに雇用が生まれ、みんながここで働くことを誇りに思っています」とカバニェーロ社長は言う。

さて、どんなワインを目指すのか? イニエスタからはこんな凛々しい答が返ってきた。

「一度飲んでくれた人の期待を裏切らないワインです。残念な思いをさせたくはありません」

イニエスタワインのファンが集ったパーティに登場。実はサプライズでファンは号泣、感涙。前日に試合があったにもかかわらず笑顔でファンと触れ合っていた。この人柄もワインに表れているように感じる。

社長も醸造責任者も力強くうなずく。期待を裏切らないために丁寧に、オーガニックを標榜し、収穫、破砕、醸造、熟成においても、品質の向上には設備投資を含めて積極的だ。

この地域らしいワインを造るためにこの地にあるブドウを生かす。例えばボバル。昔は残念ながら安価なワインのブレンドの補助的なものとして輸出されていたが、その本来のポテンシャルを生かすために、自分たちで丁寧に造りはじめた。ボデガ・イニエスタのアイテムでは「コラソン・スプマンテ・ロサード」などに使われているが、特にイニエスタ第二子の名を冠した「フィンカ・エル・カリール・パオロ・アンドレア」はボバル100%にしている。

地元の歴史と伝統を、息子たちの世代の輝かしき未来にまで伝えていきたい、という想いを込めたのだろう。

多彩なラインアップの中で、サッカーファンへのおススメは「ミニュートス116」。2010年ワールドカップ南アフリカ大会決勝。オランダとの削りあいの死闘、延長後半11分に決勝ゴールをあげた。その瞬間、「116分」のシュートを描いたラベルで興奮を蘇らせながら、至福のひと時を。

イニエスタはワイン造りの大変さを知っている

「僕はボスだから腕を組んでみているだけ」に話を戻そう。

とにかくこのチームは仲がいい。信頼感があ理、お互いの役割を尊重している。それはサッカーのピッチ内の連携にも似ている。ヒメネス氏は醸造家としての立場でもイニエスタを尊敬する。


「彼はこの畑を知っているし、ワイン造りの大変さを知っている。そこから信頼関係が生まれるんだ」

イニエスタは懐かしそうに振り返る。

「小さいころ収穫の時期は一家総出だったから、僕も手伝っていたんだ」

世界的なスターになっても、収穫の時期になれば故郷に思いを馳せていた。彼の人生にはいつだって、この畑があった。名前貸しワインでもないし、引退後の投資でもない。地道に畑を今でも購入し、契約栽培者との信頼関係を築き、自分とチームが信じたワインを造り続ける。

ただ、イニエスタ本人は、あまり難しく語られることは望んでいないようだ。

「このワインを楽しんでいただければ」

神戸では神戸ビーフと自分のワインのペアリングを大いに楽しんだという。「これからもいろいろ試してみたいですね」。日本での新たな体験もまた、彼のワインに映されていくことだろう。

問い合わせ先: 日本リカー tel.03-5643-9770

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