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土産にしたい! 黒船が描かれたワイン「ペリー提督」

ケニー奥谷のNY Winery Trips 第4回

ケニー奥谷。ニューヨーク在住のインターナショナル・ホスピタリティーインダストリー・スペシャリスト。1989年からシンガポールのウエスティン・スタンフォードホテルに勤務。その後、サイパンのハイアットリージェンシーを経て、1994年から2005年まで、ザ・プラザ・ニューヨークのアジア地区営業部長を務めた、日本人にしてアメリカホテル業界の達人だ。

そのケニー奥谷がいま、あししげくかよっているのが、ニューヨークのワイナリー。
摩天楼から、クルマで1-2時間。美しい海と自然に恵まれたロングアイランドには、40を越えるワイナリーがあり、「ニューヨークのボルドー」と称される。
ケニー奥谷によるニューヨーク ワイナリー探訪記第4回は、ニッポンに開国を迫ったあの人のお兄さんの子孫のワイナリー。

この記事はニューヨークの日本語情報紙「よみタイム」Vol.233 2014年7月4日発行号掲載の、「NYワイナリー探訪 UNCORK NEW YORK」をもとにしています。

日本を開国に導いた象徴的なアイテム

このワインを見て、土産にしたい衝動に駆られない日本人はいないだろう。

日本を開国に導いた象徴的なアイテム「黒船」をラベルに描いたこのワインに出合ったのはロングアイランド。マッシュー・ペリー提督の兄、オリバー・ペリーの子孫が所有する「ザ・オールド・フィールド」で醸造されたワインだ。

弟に勝るとも劣らず、兄のオリバーは秀でた軍人だった。

米英戦争では、エリー湖の戦いにおいて米軍を勝利に導き、英雄として名を残している。

その子孫がロングアイランドに移り住み、タバーン(宿屋)の経営を始めたのが1800年代中頃。その後、タバーンは緑の畑と美しいビーチを見晴らす場所に移され、彼らが暮らす家となった。

現在、この地を引き継ぐ5代目はオリーブ・ペリー・ワイズ氏。1974年、彼女の両親であるワイズ夫妻がブドウの栽培を始め、それがロングアイランド初のワイナリー畑となった。それから試行錯誤を繰り返すこと23年。ピノ・ノワールが育ち、今では、メルロー、カベルネ・フラン、シャルドネと多種を醸造するに至っている。

黒船ラベルのワイン名は「Commodore Perry」。ペリー提督を讃えて名付けられた。ここで醸造された最高品質のビンテージだけに与えられる逸品だ。

2007年産の100%メルローで醸造されたものは、ダークチェリーの味わいに、熟成したイチジクと月桂樹の芳しい香りが漂っていた。40ドルするが、味、そして、なによりもこのボトルラベルなら、それだけの価値は十分ある。

さて、誰への土産としようか……


今回紹介したワイナリー
The Old Field Vineyards

3659600 Main Road, Rte. 25 Southold, NY 11971

www.theoldfield.com


この記事を書いた人

ケニー 奥谷
ケニー 奥谷
奥谷啓介。ニューヨーク在住。インターナショナル・ホスピタリティーインダストリー・スペシャリスト 。慶應義塾大学卒。
ウェスティン・ホテルズ 初の日本人学卒スタッフとして、アジア地区セールスオフィスに入社。1989年よりシンガポールのウエスティン・スタンフォードホテルに勤務。その後、サイパンのハイアットリージェンシーを経て、1994年から2005年まで、ザ・プラザ・ニューヨークのアジア地区営業部長を務める。2005年、ザ・プラザの閉館とともに退社。現在、文筆、講演、コンサルテイング活動を行いながら、ニューヨークと日本を行き来する日々を送る。

雑誌「男の隠れ家」や「日刊ゲンダイ」で連載記事を掲載。著書に『世界最高のホテル プラザでの10年間』『海外旅行が変わるホテルの常識』『サービス発展途上国日本』『なぜ「お客様は神様です」では一流と呼ばれないのか』『超一流の働き方』がある。

公式サイト:okutanikeisuke.com

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