フランスを含め近隣諸国から多くの観光客を呼び寄せるイタリア北部、アルト・アディジェ。山がちなエリアで伝統の食文化が頑なに守られてきた一方、ワインは1980年代から品質重視路線へと大きく舵を切った。今、ゲルマン人ならぬグルマン人はアルト・アディジェへ大移動中。極東の我々も、遅れてはならじ!

協力:アルト・アディジェ・ワイン委員会

牧草地が広がるアルペ・ディ・シウジの頂上で、演奏の合間に好みのワインで休憩をとるアルプホルンの演者たち。 

想像以上にエキゾチックなワインと食!

道路標識はドイツ語とイタリア語の併記。朝イチでの住民同士の挨拶に耳をすませると、みんなが口々に「グーテンモルゲン」、見事にドイツ語だ。南チロルと呼ばれるエリアは、イタリア北部のトレンティーノ=アルト・アディジェ州内であるが、ドイツ色が濃厚。チロルと呼ばれる一帯は、山岳地帯ながら物流の拠点でもあり、権力者による所有権争いが絶えなかったエリアだった。

第一次大戦後、オーストリア領とイタリア領に分断され、イタリア側は南チロルと呼ばれて現在に至る。

南チロルらしさについて尋ねてみると、地元人曰く「各国のイイとこどり、じゃない? 南チロル人はイタリアより真面目だけど、オーストリアほど頭は固くない(笑)」。

鉄道駅の看板もイタリア語のボルツァーノとドイツ語のボーツェンが併記されている。

「ただし、みんな保守的ではあるかも。たとえば、地元のワインがイタリアのガイド本『ガンベロ・ロッソ』で最高評価のトレビッキエーリを獲得しても、南チロルの人はすぐに飛びつかない。もちろん、買うきっかけにはしてくれるんだけど」と答えてくれたのは、州都ボルツァーノにあるワインショップのスタッフ。ついでにドイツワインとの違いを聞いてみると、「山岳地帯で温度差が激しいから、ドイツより比較的エレガントなワインができる」と胸を張られた。

大戦前まではオーストリアの皇后が州内のメラーノでバカンスを過ごしていた経緯から、ブドウ畑への減税も行われていたアルト・アディジェ。

「この地は昔からイタリアのワイン界を牽引していた存在」と自負する生産者がいる一方、あくまでお手頃ワインの産地として有名だった過去を誰もが認めてもいる。当時は、地場品種スキアーバを使った飲みやすいロゼが名産品だったのだ。

変革のきっかけは、1970年代の売上低迷。スイスやオーストリア、南ドイツでロゼを愛飲していたメイン顧客たちの嗜好が急に変わり、アルト・アディジェのワイン業界はてんやわんやの大騒ぎに。危機感を持った生産者たちが大量生産の薄利多売から脱却、80年代頃より収量を制限しつつ高品質ワイン生産を目指した経緯がある。より手頃な新世界ワインの台頭前に、この決断は大正解といえよう。

酪農や果樹栽培が盛んで、生ハム「スペック」をはじめチーズ、ヨーグルト、はちみつ、りんご、と特産品は豊富。恵まれた食材とワインのおもてなしに惹かれ、最近はフランスからの観光客が増えているとか。南チロルらしさを知りたいなら、何を飲むべき? 何を食べるべき? 美食家の心をくすぐるペアリングを、ワイン生産者たちの声から拾ってみた。

アルペ・ディ・シウジのヒュッテに立ち寄り、3000m超のサッソルンゴなど岩山を眺めつつ乾杯。最高の贅沢!

高地の斜面に広がるブドウ畑で作業する人々の体を温めつつ癒してくれるスープ料理も、南チロルで発達した。

中央にある円盤状のパンは、南チロル名物のシュッテルブロート。ライ麦の生地にクミンなどの香辛料が入る。

カルダーロ湖を望むブドウ畑で振る舞われる伝統料理、ポレンタ。

ポレンタの調理用の煙突が、ブドウ棚の上ににょっきり。

シウジ高原の中腹で地元ワインと郷土料理を提供する山小屋レストラン、「ラウホ・ヒュッテ」の看板娘。

モスカート・ローザ種はこの界隈で唯一の甘口赤に。名前の割に、一般のモスカート種とはまったく関係ないとか。

地場品種のラグレイン。ひと昔前まで「軽快なスキアーバ」に対し「濃いラグレイン」とシンプルな理解だったが……。





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WINE-WHAT!? 編集部
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