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長野・塩尻のワイナリーに行こう!(その0)

WINE-WHAT!?が塩尻に注目する理由

1970年代半ばにメルローへの切り替えを進め、1989年にメルシャンの「信州桔梗ヶ原メルロー1985」が国際コンクールで大金賞を受賞。日本ワインの本格的な取り組みはここ、長野・塩尻から始まった。そしていま、新たな塩尻は大きく動き始めている。ここでは日本ワインの聖地、長野・塩尻のワイナリー4カ所をご紹介する。その前に、塩尻の過去と現在をワイン・ジャーナリストにして「日本ワインの母」の石井もと子が解説する。

サンサンワイナリーのブドウ畑は、2011年にブドウの樹が植栽されるまで荒れ果てた休耕地だった。

塩尻は老舗のブドウ産地

日本各地でワインが造られる今、WINE-WHAT!?がブドウ産地として大いに注目するのが長野です。優れた産地はほかにもありますが、他にはない多様性を長野は持っています。

長野は県内の8割強が山地で、その標高差から、カベルネなど温暖な地に向く品種からゲヴュルツトラミネールなど冷涼地に向く品種まで幅広く栽培でき多様性へとつながっています。

県内のワイナリー数は山梨県に次いで全国2位で、2018年すでに5ワイナリーが誕生し40ワイナリーを超えました。ワイナリーは塩尻市と、小諸市から下流の千曲川流域に集中しています。

千曲川流域は2004年にヴィラデストが東御市に創業して以降、小規模ワイナリーが次々と誕生している新しい産地。

一方、塩尻は明治時代からアメリカ系のコンコードとナイアガラを栽培。大正から昭和初期に創業した林農園、井筒ワイン、アルプスワイン、1930年代に地元の要請で進出したメルシャンとサントリーを中心に甘味果実酒の原酒供給地として基礎を築いた老舗の産地です。

甘味果実酒の消費が急激に落ちだした1970年代半ば、メルシャンと林農園は生き残りをかけて契約栽培農家にメルローへの切り替えを依頼し他ワイナリーも追従します。早くも1989年にはメルシャンの「信州桔梗ヶ原メルロー1985」がリュブリーアナ国際ワインコンクールで大金賞を受賞。今では毎年塩尻産ワインが国際コンクールで受賞しています。

塩尻でのメルロー栽培成功を得て、高温多湿の日本では不可能とされてきたワイン専用種に取り組む生産者が各地に広がり、今の日本ワインブームへとつながりました。

桔梗ヶ原メルローから

塩尻のワイナリーは耕作放棄地やリタイアする農家の畑をブドウ畑へと怒涛の勢いで変えているところです。

田川と奈良井川の間の標高700メートル前後がこれまでのブドウ栽培の中心で、河岸段丘の上の原がメルロー栽培発祥地の桔梗ヶ原です。今、塩尻では桔梗ヶ原と呼べるエリアを定め、いずれはラベル表示法が認める呼称にしようと日本初の行政区ではない産地呼称への動きが具体化しています。

粘土質を含む土壌の桔梗ヶ原に対し、井筒ワインやサントリーが自社畑をもつ奈良井川左岸の岩垂地区は土壌に礫質が多く桔梗ヶ原よりもタンニンのしっかりしたメルローになります。これまでブドウ畑のなかった市の南側の標高800メートルの柿沢地区に林農園とサンサンワイナリーが、その北東側の片丘地区にメルシャンと来年創業予定のドメーヌ・コウセイが大規模な畑を開きました。アスプスワインは2010年に初の自社畑をひらき、すでに40ヘクタールを所有、今も拡大中です。

品種も広がりを見せています。井筒ワインのピノ・ブラン、アルプスワインのシラー、林農園の柿沢シャルドネなどメルローに並ぶ品種となる可能性をもった優れたワインが登場しています。古くからのナイアガラは、醸造技術の進歩でフレッシュな果実味溢れるワインに生まれ変わっています。

今夏(2018年)、メルシャンは一度醸造免許を返上した塩尻ワイナリーを再興、市内のワイナリー数は11に。さらに来年にかけて数社の創業が見込まれ、塩尻は、堅固な土台の上に新たな時代を築き始めています。最近まで動の千曲川流域に対して熟成した塩尻は静の印象でしたが、今は違います。塩尻は大きく動いています。

※以下、長野・塩尻のワイナリーに行こう!(その1)につづく。

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