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クルマのロマンね・こんにち

1957年XKSSをジャギュア自身が手づくりする!

XKSS Side Render Preview (1)

1957年にわずか16台のみが販売されたジャガーの幻のスーパーカー、XKSSが“継続”生産されることになった。手がけるのは、2014年に創設された同社のクラシック部門。ここはすでにライトウェイトEタイプという、これまた幻のスーパーカーを6台ぽっきり、手づくりで生産した実績がある。

ライトウェイトEタイプは、スティールではなく手で叩き出したアルミ・ボディを載せた、文字通り軽量版で、レース専用として1963年に18台の生産が計画された。シャシー番号まで用意されながら、販売は12台で終わり、6台のナンバーのみが台帳に残った。だから、このシャシー番号を使って6台のニューカーをつくっても、要するにこれは後世の贋作ではなくて、本物、ということになる。

クラシック・カー・カルチャーの発達したイギリスには、本物同様のレプリカを製造する小さなスペシャリストがいくつか存在する。だから、本物そっくりのレプリカはそう珍しいわけではない。だからこそ、当時の図面を持つ本家本元が、当時のスペックで半世紀以上ぶりに“継続”生産する、なんてことができる。つまり、なんというか、レプリカをつくることができる土壌はすでにあるわけだから。とはいえ、こちらはあくまで正真正銘、本物のジャギュアである。だって、ジャガー自身が車台番号をつけるのだから。したがって、マニア(もしくは投資家)は憂いなく大枚をはたくことができる。

6台のライトウェイトEタイプは120万ポンド(約2億円)であっという間に売り切れた。オリジナルだと600万ポンドするというから、ま、たいへんお買得だったわけである。

その第2弾として白羽の矢が立ったXKSSは、1950年代にル・マン24時間レースを3度制したDタイプのロード・ゴーイング・バージョンである。56年シーズンを終えたとき、ジャガーの工場にはよそのチームに売ろうと思ってつくったDタイプのシャシーが多数あった。ひらったくいえば余っていた。これを改造して高性能スポーツカーをつくり、アメリカ市場で販売しよう、と決断したのはジャガーの創始者、サー・ウィリアム・ライオンズその人だったという。

公道仕様ということで、Dタイプの運転席と助手席を隔てていたフレームを外し、助手席側にもドアを設けた。安全性もあって、ウィンドスクリーンを高くし、サイド・スクリーンを設けて、前後にバンパーもつけている。幌は備えているけれど、トランクはない。ゴージャスなレザー・シートも奢られた。でもって、中身は正真正銘のDタイプ、というセミ・レーシング・カー25台が完成し、出荷を待っていた2月のある晩、工場から出火した。でもって、9台が焼失した。

残った16台のほとんどがアメリカに輸出され、そのうちの1台はスティーブ・マックイーンの愛車となった。「キング・オブ・クール」が残したXKSSは3000万ドル(約33億円)ともいわれている。マックイーンのXKSS、に限られるにせよ、そうなると、ほかのXKSSの価格もおのずと釣り上がる。

今回新たに手づくりされるXKSSは9台。焼失してしまった9台を21世紀のいま、ジャガーの偉大な歴史に思いをはせつつ、取り戻そうという試みなのだ。XKSSの新しい“継続”モデルのデリバリーは2017年からで、価格は100万ポンド以上。1ポンド=160円として、およそ1億6000万円。高いといえば高いし、安いといえば安い。ちなみに写真のXKSSはオリジナルなので、100万ポンドでは買えません。中古なのに……。

ワインではありえない、自動車ならではの現代のロマンではあるまいか。

Original XKSS 2

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今尾直樹
ワインが初めてうまいと思ったのは、1990年代の初め、某フランスの自動車メーカーの国際試乗会でした。パリからTGVに乗ってディジョンまで。駅からドライブ開始で、途中、休憩ポイントに醸造所が設定してあって、そこに寄るたびに試飲するのです。ブルゴーニュ、ピノ・ノワールという単語を知りました。最高にハッピーな試乗会でした。昔はヨカッタ。

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