ボルドーワインとベートーヴェン

パリとワインと音楽と その2

人はいかにしてワインと出会うのか。ボルドーの家庭で、ワインと初遭遇したShioriさんのエピソード

ボルドーでの日々を思い出す

先日、以前フランス大使公邸での祭典で演奏させていただいた際にお土産で持たせていただいたワインの栓を抜くことにし、まず左側のChâteau Pipeau Saint-Emiion Grand Cru 2010を楽しみました。程よい酸味としなやかなタンニンとのバランス、メルローの持つチョコレートのような黒ベリーのようなアロマも楽しむことができ、その香りに包まれながらボルドーでの日々を思い出しました。

私とボルドーワインとの深い関わりは、2011年にさかのぼります。留学3年目に入り成人を迎えて大人としての生き方を考え始める時期でした。

ちょうどその年にボルドーで開催された国際コンクールがあり、約10日間ホストファミリーのお宅にお世話になりました。それはパリに留学してからはじめての長期旅行でもあり、また、私はこの家族との生活でフランス人の習慣や文化を大いに学びました。

「ボルドーのお父さん」は元フランス国鉄に勤められていて、とっても無口だけど愛情深く味わいのある素敵な方。趣味はクラシックのCDを集めること。書斎には、壁一面に、普段なかなかお目にかかることない巨匠演奏家たちのLPレコードがずらりと収められていて、私の練習の合間にコンクールの課題曲の一つだったベートーヴェンのピアノソナタ第16番全楽章をダニエル・バレンボイムが演奏したものを聞かせてくれたり(素晴らしい演奏におちこむこともあり)、気分転換に爆音でラフマニノフの自作自演のコンチェルトを聞かせてくれたりしました。

「ボルドーのお母さん」は、対照的に太陽のように明るい少しラテン気質で可愛らしい方。フランスでどこのビストロに行っても、彼女の作る鴨のコンフィより美味しいものはなかったと断言出来るほど、私にとって一生忘れられない美味しい料理の数々を作り出す名料理人で、留学当初でまだ語彙力の少ない私が、この最高のおいしさを全身で表現して伝えると、お母さんはいつも恥ずかしそういそいそとキッチンの仕事に戻っていきました。

ボルドー人の食卓

夕食はいつも2〜3時間コース。どんなに練習が続いていても2階のスタジオに、『Shiori! A table!』(しおり、テーブルについて!)と呼びにきてきれます。

前菜は残り物を活かしたタブレやキャロットラペ、そして自家製のテリーヌや野菜をブイヨンのジュレに固めたものとバゲット。自家製パテの美味しさについつい前菜を食べすぎないことを忘れずに。

そして食事と一緒にいただくワインはお父さんの弟さんがワイン流通の仕事をしていて限定的に仕入れられるまず大きなお店には出回らないというワインでした。

成人して初めて飲むお酒が、ボルドーワインで、ボルドレー(ボルドー人)と一緒に味わうとは我ながら贅沢な経験だったなと思います。当時まだワインについて何も知識のない私に、ワインの歴史、そして品種のこと、銘柄のこと、生産された年のことや気候の話、ボルドーワインへの誇り、様々話を聞かせてくれました。

この家の食卓はいつも、たとえ一回の食事で汚れてしまっても、白かクリーム色のテーブルクロスを掛けていて、私はパンくずでテーブルを汚してしまう度に申し訳なく思っていたのですが、『Shiori、ワインを飲むときはそのワインの色や様子がよく見えたほうが気持ちいいでしょ。だから汚れてもいいのよ。』といわれ、生活の全てが一本の糸の様に美しく紡がれていることにとても驚いたことを覚えています。

今ワインの勉強を始めてからはそれがワインの粘度を確かめていたことに気がつきましたが、その食卓ではグラスを回し淵に付くワインの雫の落ち方を眺めることも教わりました。

香りが奥深い演奏とは

コンクールも三日後に迫ってきたころ、不意に『今日のShioriの練習中のベートーヴェンの演奏にも(1日に1度は通しで聞いてもらっていました。)このサラッとしているけど奥深い香り、飲み心地はいいけれど余韻が長く続く、そんな部分が増えると素敵だよね!』とほろ酔いのお父さんに演奏について話されました。

最初はあまり意味がわからず、酔っ払ってるのかしら? と軽く相槌を打っていましたが、その言葉を心で繰り返せば繰り返すほど、その表現がストンと私の中に落ちるのを感じました。

『ああ、私の演奏も人の心にワインのように味わいを広げ、そしてもう一度聞きたいと思わせるような感動を与えるためにもっと改善できる!』と練習に打ち込みすぎて忘れかけていた大切なことを思い出させられました。

ボルドーのコンクールで知り合った仲間のコンテスタントやその友人たちと

この日からコンクール当日までは、今の演奏がどう音の色彩を増やせたか、人の心にどれだけのお土産を残せたか、客観的に聴衆の感触を感じながら音楽を作ることを楽しむ時間へと変化し、それは私の音楽への価値観を大きく変える日々になりました。

私にとってボルドーでのひと時は、音楽ともフランスともまた一歩距離を縮めることができたかけがえのないひと時で、ボルドーワインを飲む度にその深い大切な思い出に想いを馳せています。

A bientôt à tous!

Shiori

この記事を書いた人

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Shiori
ピアニスト/ワインコラムニスト
ピアノ留学でパリに6年間暮らす。留学中は音楽だけでなく絵画や建築などの芸術、ワインや食の文化に触れ研鑽を積む。コンクール等で訪れたヨーロッパの国は20カ国以上。帰国してからのコンサート出演数は500回にのぼる。
フランスやイタリアの家庭に滞在し、豊かな食生活に触れ、ヨーロッパでワインを楽しむ時は、必ずそこに景色や会話、音楽の記憶が付随している事を感じ、日本でもワインに景色や音を合わせられるような存在を目指す。
ワインと曲のマリアージュを研究しており、ワインの香りや味わいに合う曲をイメージし、音楽とワインの新しい楽しみ方を提案している。

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