イタリアを知れば知るほど、魅了されればされるほど、原点に立ち返り、日本人であることの歓びや誇りを、より強く感じるようになりました。わたしの中に存在するイタリアは、長い年月をかけて、わたしという個と融合してきたように思います。イタリアに出逢っていなかったら、どんな人生を歩んでいたのだろう… 考えてもわかりません。ただ、わたしはこんな自分をしあわせなやつだなあと思うのですよ。
6121-1

アドリア海の小さな港町。

イタリア語通訳デビューのきっかけは「日本におけるイタリア2001」。2001年3月〜2002年初夏まで一年以上に渡り、日本全土で376ものイベントを開催したイタリアと日本両国の過去最大プロジェクト。イタリア語教室に通って7年目を迎えた頃である。

当時のわたしはイタリア語とイタリア文化を学ぶ一生徒。週一回2時間、異なる職種や年齢層の「イタリア好きたち」が集い語らい学ぶ場所。どのレッスンも楽しかった。『好きなことにはまっしぐら』のわたしは、とにかくよく勉強をしたものだ。レッスンで習ったことは帰りの電車内で復習、その日のうちにノートにまとめ直す。宿題は早め早めにやっておく。一週間なんてあっという間に過ぎてしまうものだから。

手っ取り早くイタリアに行ってしまえば、上達するのも早かったのかもしれないが、留学などありえなかった。『日本にいても必ずできるようになってやる』 秘めた決意と情熱があった。息子が小学校を卒業するころには仕事ができるレベルになりたい、そんな目標をかかげていた。イタリア語検定も進んで受けた。1999年からは年数回イタリア関連のイベントでアルバイトをするようになった。最初はレセプションやバリスタの仕事。日本に居ながらにして気分はイタリア。わたしが淹れたエスプレッソを「日本で一番美味しいエスプレッソ!」と褒めてくれたイタリア人。笑ってしまうが、大げさで褒め上手なイタリア人のおかげでここまでやって来れたような気もする。

結局2005年までの約10年間、入門から最上級まで、文法、会話、美術、建築、映画、文学、マスメディア、エノガストロノミー(ワインと食文化)に至るまで、様々なコースを修得。特に興味のあった建築史、美術史に関しては単発のセミナーも受講した。

日本人にありがちな「書く」「読む」が比較的強かったわたしだが「話す」「聴く」が弱点だった。日本ではイタリア語を使う機会が極端に少ないため、その強化訓練を自ら課した。体のいい理由だが、イタリア一人旅をライフサイクルに組み込んだ。イタリアは多様性に富んだ国である。20州それぞれに特色があり、人々の気質も違う。年2回イタリアに行って、脳内をイタリア語だけの回路にする。文化や風土に直接触れ、現地の人たちと生きたコミュニケーションを取る「習うより慣れよ」。

これには家族の理解、応援が必要だった。わたしの『まっしぐら』をずっと見ていた両親や夫、息子も全面的に協力してくれた。本当に感謝している。こうして、様々なジャンルの通訳や翻訳、旅行代理店への情報提供、イタリアの宿泊施設やレストランの日本向けプロモーション、イタリア語個人レッスンなどもさせていただいた。趣味で始めたイタリア語が、こんなふうに仕事にリンクするなんて、ましてや通訳になるとは夢にも思っていなかった。

この記事を書いた人

ゴローザ通信
ゴローザ通信
浜名湖畔の風光明媚な集落に生まれる。主婦、ときどきイタリア語通訳・翻訳・コーディネーター、アートユニット活動もしています。
※「ゴローザ Golosa」とは、イタリア語で「食いしん坊」のこと。「食に対して貪欲である」ということから「好奇心や探究心が旺盛な」という含みも。

落ち着くところ:水のある風景
リピートしたいところ:イタリア、南アフリカ

ゴローザが、日々の暮らしの中で見つけたこと、感じたこと、好きなことなどなど…心のおもむくままにお届けします。
この作者の最近の投稿