トマトを巡るおはなし。

イタリア料理に欠かせないトマト、イタリア人に愛され続けるトマト… その歴史をちょっと調べてみました。

トマトはイタリア語で Pomodoro ポモドーロ 。元々は Pomo d’oro と書かれ「黄金の果実」と呼ばれていました。素敵な呼び名ですね。

しかしながら、新大陸から渡って来た当初は「禁断の果実」とされ、忌み嫌われ、誰も食べようとしなかったそうです。宗教的な理由からとも言われています。

トマトの原産地は南米(オリジナルは古代アステカ語で「トマトル」)、コロンブスの新大陸発見から遅れること約30年、トマトの種をヨーロッパに持ち帰ったのはスペインのエルナン・コルテス艦隊一行でした。イタリアに初めてトマトが上陸したのは16世紀半ばのナポリ。当時のナポリはスペインの支配下にあり「ナポリ王国」と呼ばれ、繁栄した豊かな都市でした。

トマトはもっぱら裕福な貴族たちの観賞用の植物として楽しまれていただけでした。しかし、これら上流階級と一般民衆との格差は激しく、庶民の多くは極貧生活を強いられ、生き延びるのに精一杯の日々を送っていました。「毒のある魔の果実」として敬遠されていたトマトを最初に食べようとしたのは、豪邸の庭園の手入れを任されていたナポリの庭師たちだったようです。「こんなに美味しそうな赤い実なんだもの、毒でもかまわないから食べてみよう」こうした勇気(食い意地か)の甲斐があってか、農民たちが努力を重ね続け、なんと200年もの歳月をかけ、味わいのある野菜へと改良していったそうです。

気候や土壌がトマト栽培に適していたことも幸いだったのでしょう。トマトとパスタの組み合わせもナポリで生まれました。トマトはピッツァにもかかせない食材です。イタリア人の中でもとりわけトマトに目がないのはナポリ人のようです。トマトへの愛をナポリ人はこう表現しています。『プンマローラの色と香りがない料理なんて、想像すらできない…』(※プンマローラ Pummarolaとはナポリ方言でトマトのことです)彼ら、ほんとうにトマトが大好きなんですね。トマトを巡るおはなしはこれでおしまい。わたしもお腹が空いてきました。それでは、焼き立ての熱々ピッツァ、いただきま~す!

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『ゴローザのお友だち 特製のピッツァ』

左イラスト:ピザ焼き職人になった「アルレッキーノ」、ピザターナーを持って奮闘中! ※ Arlecchino アルレッキーノとは、イタリア仮面劇「コンメディア・デッラルテ」の道化役者。食いしん坊の召使い。色とりどりの菱形 or 三角模様の衣装を身に着けている。

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お友だちはなんと、自宅に石窯(Forno フォルノ)まで作っちゃったのです!! タイルは「アルレッキーノ」の衣装からイメージ。楽しいね~【 EDE BIBE LUDE! 】とは、ラテン語で『食べて 飲んで 遊べ!』

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さあ、薪が燃え上がってきましたよ~!450度を超えました。

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マルゲリータ準備完了!フォルノへ!

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ジェノバペースト、ミニトマト、パルミジャーノ、モッツァレッラ、これも楽しみ!

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う~ん、いい感じ!90秒ほどで焼きあがります!

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真っ赤なミニトマトが躍る「地中海風ピッツァ」焼きあがりました!ルーコラをトッピングします。

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わ~!モッツァレッラがトロトロ、たまりませんね~ お友だちに感謝です! ゴローザはしあわせだなあ…

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ゴローザ通信
浜名湖畔の風光明媚な集落に生まれる。主婦、ときどきイタリア語通訳・翻訳・コーディネーター、アートユニット活動もしています。
※「ゴローザ Golosa」とは、イタリア語で「食いしん坊」のこと。「食に対して貪欲である」ということから「好奇心や探究心が旺盛な」という含みも。

落ち着くところ:水のある風景
リピートしたいところ:イタリア、南アフリカ

ゴローザが、日々の暮らしの中で見つけたこと、感じたこと、好きなことなどなど…心のおもむくままにお届けします。
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