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シュワシュワのシャンパーニュはドン・ペリさんの発明じゃない⁉︎

カンパイ好きのための歴史教養講座 基礎編 

1194-2

余はシャンパーニュなしには生きられん

一方、発泡性のシャンパーニュがフランス国内に出回るようになるのは18世紀になってから。国王ルイ15世の摂政を務めたオルレアン公フィリップ2世の宮廷では、夜な夜な泡立つシャンパーニュが供されたとされる。

しかしながら、税制上の問題から瓶詰めワインの輸送は法律で禁じられており、本格的な普及には至らなかった。その封印が解かれるのが1728年である。この年、ルイ15世は瓶詰めされたシャンパーニュ産ワインの輸送を許可。

翌29年には初のシャンパーニュ・メゾン、ルイナールが誕生した。1730年にシャノワーヌ、1734年にテタンジェの前身フルノー、1743年にモエ、1760年にドゥラモット(ランソンも起源は同じ)、1772年にクリコ、1785年にエドシックが創立している。

19世紀になると、シャンパーニュは英国だけでなく、北欧やロシアにも輸出されるようになった。かの皇帝ナポレオン・ボナパルトもシャンパーニュに目がなく、モエやジャクソンなどのメゾンを訪問。当主にレジオン・ドヌール勲章を授け、「余はシャンパーニュなしでは生きられん。勝利の時には祝杯を上げ、負けた時にも慰めに飲む」という、有名な言葉を残している。

当時、ナポレオンが飲んでいたシャンパーニュは濁っていた。

瓶内2次発酵によって生じた澱をきれいに取り除く方法を、1818年に考案したのがマダム・クリコだ。穴の開いた木製のテーブルに逆さにしたボトルを差し込み、瓶口に澱を溜めるという方法で、現在のピュピートル(別項参照)の原形である。

また当時のシャンパーニュ醸造では、ボトルのガラス瓶の品質もよくなかったが、それよりも天候に恵まれて糖度が高い年には、炭酸ガスが過剰に発生してボトルを破裂させた。この問題を解決したのは元薬剤師のジャン・バティスト・フランソワ。彼は瓶詰め時の糖分含有量をもとに炭酸ガスの量を予測する、フランソワの比重計を1836年に発明したのである。

19世紀の中頃まで、シャンパーニュといえば甘口の飲み物だった。

2010年にバルト海の沈没船から引き揚げられた1840年前後と思しきヴーヴ・クリコのシャンパーニュを調べたところ、糖分は1ℓあたり150gも含まれていた。航路を考えると、おそらくロシア宮廷に届けられる予定のボトルだったに違いない。

英国人が辛口のシャンパーニュを好むようになると、彼らの嗜好に合わせた商品の必要に迫られた。エペルネのペリエ・ジュエは1856年、糖分が1ℓあたり20〜22gという、当時としては劇的なまでに辛口のシャンパーニュを、英国市場向けに出荷。1860年にはランスのポメリーがこれに続いた。

ちなみに糖分添加が機械化されたのは1844年、コルク栓を金属のワイヤーで固定するミュズレが発明されたのも同じ年のことである。それまでは麻ひもで縛りつけるフィスレが一般的だった。

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