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シュワシュワのシャンパーニュはドン・ペリさんの発明じゃない⁉︎

カンパイ好きのための歴史教養講座 基礎編 

どこまでをシャンパーニュ地方と認めるか?

シャンパーニュ地方の境界線にも歴史がある。シャンパーニュが有名になってからというもの産地偽装があとを絶たず、憤懣やる方ない生産者は法廷に訴えた。そして1889年に最高裁判所が、「シャンパーニュ」と名乗れるのは、シャンパーニュ地方で収穫、醸造された発泡性ワインのみとの決定を下す。

すると次なる問題は、どこまでをシャンパーニュ地方と認めるかだ。

1908年に初めてその境界線が引かれた時、南部のオーブ県は除外されてしまった。エペルネから100kmも離れていてはそれもやむを得まい。

ところが、フィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)の被害と天候不順による凶作から、マルヌ県のブドウの値上がりを嫌ったメゾンは、こっそりオーブからブドウを買っていたのである。

これを知ったマルヌ県の栽培農家が蜂起する一方、オーブ県の農家が「我々もシャンパーニュに入れろ」とデモを展開。1911年4月11日、暴徒化した2000人の人々が、アイの違反業者の建物を打ち壊す暴挙に及び、同年6月7日の政令でオーブもシャンパーニュに組み込まれた。

ただし、「第2のゾーン」という但し書き付き。その差別も撤廃され、オーブが晴れてシャンパーニュ地方の一員として認められたのは、1927年のことである。

今日、シャンパーニュ地方のブドウ畑は総面積3万4000ヘクタールにおよび、以下に挙げる4つの大きなゾーンに分かれている。

シャンパーニュにとって重要なふたつの町、北のランスから南のエペルネまでの間にはランス山(モンターニュ・ド・ランス)と呼ばれる小高い丘陵地があり、その丘の北から東、そして南へと馬蹄を描くように続くゾーンが「モンターニュ・ド・ランス」。東端に位置する2つの村、ヴィレール・マルムリーとトレパイユを例外とすれば、最上のピノ・ノワールの産地である。

次に、マルヌ川沿いの谷間、エペルネから西に伸びるゾーンが「ヴァレ・ド・ラ・マルヌ」。遅霜の発生しやすいエリアなので、発芽が遅く、霜に比較的強いムニエの栽培比率が高い。

そしてエペルネの南、東向きの斜面に連なるゾーンを「コート・デ・ブラン」と呼ぶ。その名のごとく、白ブドウのシャルドネの聖地としてよく知られている。

これらマルヌ県の3つのゾーンから、南に遠く離れた産地がオーブ県に属する「コート・デ・バール」だ。ブルゴーニュ地方のヨンヌ県と接し、シャブリも目と鼻の先。前述したように、シャンパーニュ地方の一部として正式に認められたのは、1911年のことである。
シャンパーニュ地方の土壌といえば一般的に白亜紀のチョーク質土壌だが、コート・デ・バールはシャブリと同じジュラ紀のキメリッジアン粘土石灰質土壌で、おもにピノ・ノワールが栽培されている。

これら4つの大きなゾーンのほかにも、ランスの西に位置する「マッシフ・ド・サン・ティエリー」やコート・デ・ブランの南に連なる「コート・ド・セザンヌ」など、小さく、知名度の低い栽培ゾーンがいくつか存在する。

最南端のコート・デ・バールでさえ北緯48度の地点にあり、ブドウの栽培地としては北限にあたる。昨今の気候変動により多少の変化が見られるとはいえ、ブドウを完熟させるには厳しい環境であることは間違いない。

その一方、冷涼な気候はスパークリング・ワインにとって不可欠な、高い酸を保つのに好都合であり、またチョーク質の土壌はスポンジの役割を果たし、干ばつの年であっても、十分な水分をブドウに供給してくれる。

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