ワインの話題でよく議論になるのが、「ナチュラルワイン」だ。今回の取材では、オーストラリアのナチュラルワインについても考える機会があった。その盛り上がりの輪に入ると楽しいけれど、一歩引いてみるとまた違う見方もできることに気づかせてくれたのは、「Small Forest」のラドクリフ敦子さんだった。


オーストラリアワインといえばナチュラルワインなのか?

敦子さんとお話させて頂いたちょうどその日にビオディナミの生産者を訪問していたこと、そして最終日に行く予定だったイベント「ルートストック・シドニー」の話題から、ナチュラルワインの話になった。

まず、オーストラリアではナチュラルワインがものすごく盛り上がっている、いうなれば”聖地”のように日本では取り上げられることがあるけれど、「彼らは全体の1パーセントにも満たないのでは」と敦子さん。私自身、Jauma(ヤウマ)の「無理しないで」というオレンジワインを飲んだときは、その肩の力の抜けるようなゆるさに衝撃をうけたし、それを機にオーストラリアのナチュラルワインに目を向けると、カリスマ的な人気を誇る造り手がいることに、また驚いた。だから、オーストラリアでナチュラルワインが盛り上がっている、と聞くと造り手の名前を思い浮かべて納得していた。

敦子さんが心配するのは、「ナチュラルワインこそがオーストラリアのワインなんだ」と勘違いされること。例えば、“オーストラリアワインは、ナチュラルワインじゃないとダメ”というような流れが起こっては、残念だという。そうなれば、日本はオーストラリアのその他の素晴らしいワインをすっかり見逃すことにもなる。

ワインはそもそもナチュラルであろうとする

ここではっきりさせておきたいのは、「ナチュラルワイン(ヴァン・ナチュール、自然派ワイン)」とは何を指しているのか。人によって解釈は違うから定義をすることなど不可能だが、話をするときに、自分の立ち位置を明確にすることは重要だ。

私は、「ナチュラルワイン」とは、できるだけ人の手を加えないで造ったワイン、亜硫酸(酸化防止剤)の量を減らす、野生酵母を使う、畑にさまざまな生物の多様性を確保するなど、「自然との共存を念頭においたワイン」のことをイメージして話をしていた。

敦子さんは「そもそもワインとは、自然(ナチュラル)に造られたものだと思う」という。ぶどうを育て、収穫し、ジュースを発酵させるという自然の中での取り組みに、必要に応じて人がその手助けをする。酵母が良い状況で最後まで働けるように、環境を整えてあげる。要は、その手助けの仕方が問題なのだ。

手を加えないことだけがいいとしたら、「ナチュラルワイン」の証のようにいわれる亜硫酸ゼロだって、それを加えないために好ましくない臭いや汚染が出ても、ナチュラルだからいいではないか、という話になってくる。

「自然との共存は、皆が意識していることで、彼らだけではない」

そもそもワインを造る人は、自然を大事にしている人がほとんどで、自分で育てた野菜で料理をしたり、動物や夜空を愛し、天気を気にし、自然の一部として生きている。「ナチュラルワイン 」に括られない敦子さん自身、例えば水を無駄にしないよう雨水を利用する、害獣対策にスケアガンを使うことをやめる(結果、鷲や鷹が畑に戻ってきた)など、何かしらのレベルで、自然に優しく共存する努力をしている。酵母がうまく働くように手をかけたからって、自然と一緒にワインを造ろうとしていることには変わりない。

その上であえて「ナチュラルワイン」と括ろうとすると、敦子さんにとってそれは、手を加えないあまり「好ましくない臭いや味のするもの、マニキュアの除光液、卵のようなひどい臭い、下水のような臭い、酸化した臭い、異常に濁っている……などのワイン」となってしまう。



とはいっても、ワインの感じ方ひとつとっても人によって違う。

ハンター・ヴァレーを代表する造り手「ティレルズ」のブルースさんは、「クラフトビールやナチュラルワインは、二杯目を飲みたいと思わない」といっていた。ブルースさんのいう「ナチュラルワイン 」が何を指していたのかはわからないが、おそらく個性が強いという意味合いだったのだろうと思う。だが、ナチュラルワインを好む意見には、「何も考えずにグイグイ飲めるゆるさがいい」という人だっている。ワインにある独特のにおい、敦子さんがいう”好ましくない臭いや味のするもの”だって、欠陥としてしまうか、個性とみるかは、人それぞれだ。

まずは見て経験する、そして違いを認める

「ナチュラルワイン」に括られないワインを造る敦子さんは、「ナチュラルワイン」を造っている人たちとも、またそれを飲んでいる人たちとも交わる機会はほとんどないというが、それでも実際に自分の目で見ないことには、とルートストック・シドニーにも足を運んだ。ルートストック・シドニーとは、2013年からはじまったオーガニックフードとワイン のお祭りだ。アメリカで40万人が熱狂した1969年の音楽祭「Woodstock(ウッドストック)」を文字って名付けられたというが、「植物の根っこ」という本来の意味には、 イベントの根底にある「サステイナブル(自然との共存)」への思い が込められている。

敦子さんはそこでは、自分の感覚に合うものは1割もないと感じた。生産者も思ったほどフレンドリーでないと感じた。一方私は、最終日に参加してみて、それはそれで楽しいと感じた。世界中から国籍も年齢層もさまざまな人が「ナチュラルワイン」を求めて集まるという一体感にも動かされた。

敦子さんのいうようにワインは基本的に自然との共存(サステイナブル)を志向しているものだとしても、ルートストックの会場にあったワインは、「ナチュラル」なことがわかりやすいのだ。激しく濁っていたり、亜硫酸ゼロ(か微量)だったりビオディナミで造っていたり……そこには「ナチュラルなものを志向している」共通認識が、すでに造り手にも飲み手にもある。その暗黙の了解こそが、場の結束力を強めているように感じたのだ。

大切なのは、日本がナチュラルワインで盛り上がる状況を、敦子さんのように冷静に外から見ていたとしても、批判しているのではないということだ。「単純に、我々は、そもそも目的が異なるのです。造り手には、それぞれ考えがあり、自分の個性も活かしながらワインを造っているのだと思います」

敦子さんが、ナチュラルワインに賛同も否定もしないのは、「同じワインを造る職業だが、別の分野のようなものだ」と認識していること、そして、いろいろな人の話を聞こうと常に心がけているからだ。そして、自分で経験もした上で話をしている。

2016年、敦子さんは、自分にどんなことができるか、そしてどんなものができるか試すため、極力手を加えないオレンジワイン造りに取り組んだという。酸化を避けるため亜硫酸だけは使ったが、野生酵母での自然発酵、発酵終了後には長めに果皮を漬け込み、野生バクテリアによるマロラクティック発酵、タンパク質は取り除かず、冷凍処理も行わず、澱引きだけをし、最後の清透作業もせず、荒ろ過のみで手詰めした。オレンジ色にはならなかったが、「素直に美味しい」ワインに仕上がった。 そのワイン造りで、敦子さんは新たにたくさんのことを学び、今までの経験を生かすことができたという。

「少し引いて、遠目で見ること。業界に限らず、いろんな人の話を聞くこと。そして自分で経験し、自分の目でものを見て判断すること。そうできるようになることがとても大事なことです。私たちは完璧ではありませんから、いつまでも謙虚な気持ちで物事に向かう姿勢でいることが大事だと思っています」

言葉でいうのは簡単だが、簡単にできることではない。ナチュラルワイン をきっかけに、私は物事に対する大切な姿勢を、敦子さんから学んだ。

この記事を書いた人

水上彩
水上彩
シャンパンと日本ワインを愛するライター。ワイン愛が高じて通信業界からワイン業界に転身した。最近は、毎日着物生活をめざして「きものでワイン」の日々を送っている。ワインの国際資格WSETのDiploma取得に挑戦中。

ブログ:余韻手帖 |きものでワイン http://muse-bacchus.com/