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世界最高峰の白ワインはドイツにあり!

エゴン・ミュラー4世に会う

モーゼル地方ザール地区 シャルツホーフベルクに世界最高の白ワインあり。同地の名声を世界に鳴り響かせる、エゴン・ミュラーの当主、エゴン4世が来日し、WINE WHATはエゴン4世を囲んでのディナーに参加した。

エゴン・ミュラー4世。日本で修行していたこともあるので、日本語も少し話せる。イベントではフランス語で話していた。

白ワインの頂点

アルコール度数10%前後。やや甘口から貴腐を加えた甘口までをラインナップし、リースリングというブドウ品種がなぜ高貴なのかを理解させてくれる、ドイツワインの頂点のひとつ、エゴン・ミュラー。リリースしたてでも高価だけれど、年代物、そして極甘口のそれ、となるとびっくりするような価格で取引されることでも有名だ。

当主をつとめるのは代々エゴン・ミュラーの名を受け継ぐ一族で、現当主はエゴン・ミュラー4世。そのエゴン4世に、会う機会を得た。

なんとも栄誉なことながら、意外でもあった。エゴン・ミュラーといえば、コレクターが大事にセラーにしまいこみ、うっかりすればそのコルクは抜かれることなく、持ち主がこの世を去ってしまうこともあるだろう。あるいは、熱烈な愛好家たちがそれぞれ自慢のヴィンテージを持ち寄って飲み比べる、という贅沢な一夜を過ごすこともあるだろう。あるいは、動産として取引され、名だたるオークションの目玉になる。飲んでみたいと願い、願いがかなえばありがたがって口にして、その経験を忘れまいと心にとめる。そんな、イメージはあれども、日本で造り手を囲んで、プレス向けのディナーが開かれるような銘柄、という認識は筆者にはなかったからだ。

このディナーに誘ってくれたのがアンリ・ジロー ジャパンだというのも驚いた。シャンパーニュの名品、アンリ・ジローの輸入社であるアンリ・ジロー ジャパンがなぜにドイツの、しかもよりにもよってエゴン・ミュラーを? 確かに、自然を尊重し、その個性を高度なクラフツマンシップで表現した、繊細で優美な、そして幻のように貴重なワイン、というところは共通しているかもしれないけれど。

聞けば、エゴン4世の父親であるエゴン3世が、フランスへのワインの輸出を考えたときに、アンリ・ジローの当主だったクロード・ジローと出会ったことで、アンリ・ジローがエゴン・ミュラーのフランスでの輸入者となったのだそうだ。その縁で日本でも、アンリ・ジロー ジャパンが2014年、2010年ヴィンテージから輸入社となっているそうだ。

なにせ、ことと次第によっては、世界を2周くらいしてコレクターの手から手へと渡るようなワイン。これまでもさまざまなルートで日本に入っていたけれど、ワイナリーから日本へ、責任をもってワインを移動する独占的な輸入社ができた、ということは、愛好家にとっても、エゴン・ミュラーにとっても喜ばしいことだろう。そして、そのおかげでプレス向けのディナーが日本でも開かれることになった、ということなのだから、筆者にとっても喜ばしいことだ。三方良しどころか、四方良し、である。

エゴン・ミュラーがスロバキアで造るリースリングから

およそ27ha、ドイツにおいて、例外的に畑の名前だけをラベルに書くことを許された特別な5つの畑のなかのひとつ、シャルツホーフベルク。そのなかでも、さらに最良の8.5haの畑を代々所有するエゴン・ミュラー。

リースリングの名産地、モーゼル地方のなかでも最良の畑で熟したリースリングを選別し、甘口のワインを造る。とはいえ、「カビネット」はむしろ辛口よりで、そこに甘みがくわわるスタイル、「シュペートレーゼ」は過熟のブドウを使う甘口、そして、「アウスレーゼ」は過熟のブドウと貴腐ブドウとのミックスと、性格分けされている。というよりも、これは果汁の糖度でクラス分けされるドイツのワイン格付け法にならったものだけれど、甘口でも、濃密にべったりと甘いわけではなく、糖と酸のバランスが絶妙であるがゆえに上品で、また、熟成するほどに複雑味を増していくのがエゴン・ミュラーだ。

一体、何が飲めるのか、わくわくしていると、ディナーで最初に登場したのは、スロバキアのワインだった。その名をシャトー・ベラ。

「妻の家族が所有しているワイナリーです。共産主義時代、民間のブドウ畑、ワイナリーは国家に没収されていたのですが、1999年、地方自治体が、このシャトーのもともとの所有者の家族にコンタクトし、再譲渡しました。しかし、このときすでに、ワイン造りの設備はなく、また、満足にワイナリーをやっていくだけの資金もありませんでした。栽培・醸造家はいましたが、彼も、共産主義時代以前、このワイナリーがどんなワインを造っていたかは知らなかった。そこで、私に声がかかったのです。2000年に初めて赴いてみると、いくつものオーストリアでよく栽培されている品種があり、そのなかにリースリングがありました。私はリースリングのことしか知らないので、リースリングでワインを造ることにしました」

とはいえ、同じリースリングといっても、名産地、ドイツはモーゼル地方ザール地区とスロバキアでは環境が違う。

「気候はザールは大西洋気候 ヴィンテージごとに特徴が出やすく、夏も冬も、気温は極端に暑くなったり寒くなったりはしません。一方、スロバキアは大陸気候。乾燥していて、夏は暑く、冬は寒い。土壌はザールがシスト、スロバキアは石灰。チョーク質です。こういった条件から、辛口のリースリングとして造っていますが、私にとって、もっとも特徴的に感じるのが土壌です。まるでチョークを口に入れたように土地の個性を感じます」

当然、それは比喩表現で、熟したブドウ、リンゴを感じさせるような香り、口に入れるとやや、苦味を感じ、酸を感じ、そしてハチミツのような甘い香りが余韻にのこる。十分、エゴン・ミュラーの世界観がある。エゴン・ミュラーが手掛けるワインとしては入手しやすいのも魅力的だ。

続いて、いよいよザールへ。先陣をきるのが、「シャルツホーフ Q.b.A」というワイン。これはエゴン・ミュラーのワインのなかではもっとも手の届く価格のワインだ。

左が「シャルツホーフ Q.b.A」、右がシャトー・ベラ

「エゴン・ミュラーがもつ畑のうち、8.5haがシャルツホーフベルグ。その近隣で、シャルツホーフベルグと同様に丘にあり、同じようにシストの土壌ではあるのですが、品質的にシャルツホーフベルクまでいかないブドウで造るのが、この「シャルツホーフ Q.b.A.」です。普通はもっとも早く収穫がはじまり、ステンレスタンクで醸造します。とはいえ、侮りがたいワインです。この2018年ヴィンテージであれば、より格上の「シャルツホーフベルガー カビネット」との間に、巨大な差はないとおもいます。フランス的にいえば、グラン・クリュ(特級畑)かそうでないかの違い。ブドウの出来を考慮して、カビネットを造らない年であれば、そのブドウから、Q.b.A.にすることもあります」

ということで、あわせて2018年の「シャルツホーフベルガー カビネット」も試した。
Q.b.Aとカビネットはいずれも甘みが少なく、中辛口、といえるバランス。アルコール度数はQ.b.A.が10.5%、カビネットが9%。カビネットのほうが香りにすこしハーバルな印象があり、酸味の鋭さと、ふくよかな甘さ、余韻の長さなどで、やはり、比べて飲めば格上な印象ではあるけれど、たしかにエゴン4世のいうとおり、決定的な差、ではないかもしれない。

「一方、「シャルツホーフベルガー シュペートレーゼ」になると、これは比較するものではなくなってきます」

左がシャルツホーフベルガー カビネット 2018年ヴィンテージ、その隣が同2007年ヴィンテージ、そして右がシャルツホーフベルガー シュペートレーゼ

ブドウ畑の一部

シュペートレーゼは甘口のワインだ。完熟を超えて過熟ともいえる状態のブドウから造る。とはいえ、口にした瞬間は、はっきりと酸味を感じさせる。ハチミツのような甘みは、あとから来る。

「2018年ヴィンテージでは少ないですが、シュペートレーゼでも貴腐がはいっている場合もあります。2018年は質にも優れていますが、量にも優れているヴィンテージで、使えるブドウが多かったのです」

とはいえ、寒冷なザールで、これだけ熟したブドウを得るのは容易ではないはずだ。さらに、貴腐ブドウと過熟ブドウを厳選して造るのが「シャルツホーフベルガー アウスレーゼ」。エゴン・ミュラーのなかでも特別品の域に入る。上品としかいいようのない、とろりとした甘味に酸味が優しく加わる。ハチミツにアプリコット、そしてさまざまな南国のフルーツ。なんと甘美な飲料か。見事な白ワインは筆者、幸運にも仕事柄、いくつか体験させてもらってきたけれど、それらは、比較において論じたくない、ひとつの完成されたスタイルをもった液体だった。ソーヴィニヨン・ブランにも、シャルドネにも、名人がいる。そしてエゴン・ミュラーはリースリングの名人だ。

そこで疑問に思う。エゴン・ミュラーという名門に生まれ、エゴン・ミュラーという名を与えられる、というのは、どんな経験なのだろう。

まず、エゴン4世に、父親であるエゴン3世と仕事をし始めたのは、いつだったのか尋ねてみると「5歳だったっけな」とおどけてみせたあと……

「お小遣いがほしくて、アルバイトみたいに畑仕事を手伝ったりするようになったのは、13歳か14歳だったとおもいます。部分的に、ではありますが責任ある仕事をさせてもらったのは、1982年。私はまだ学生でした。完全に任せてもらえたのは1986年です」

それでは本題。偉大なワインを継ぐことに反発心や重圧はなかったのですか、と聞いてみると

「面白いことに、なんの抵抗もなかったんです。自然にそうなった。なにせ、子供のころから遊ぶといえば、ブドウ畑やそのまわり。周囲に同じような境遇の子供がいるわけでもないので、ブドウ畑やワイナリーで働く人の子供たちと一緒に遊んでいました。私は子供のころから、ブドウ畑の一部だったんです。将来なにをするのか、などといった自問をすることもなく、本当に自然と、この仕事をするようになりました。実はいま、19歳の息子、エゴン5世がいるのですが、彼も、私とおなじような感じです」

では、父のワインはこうだったけれど、自分はこうする、というようなこともなかったのでしょうか?

「私は世界中のいろいろなところで、ワイン造りの勉強をしました。日本でもワイン造りの現場を体験しています。でも、正直に申し上げて、日本のワイン造りは私のワイン造りの参考にはなりませんでした。やり方が私のとは全然ちがいますからね。ただし、長年かけて磨き上げられたやり方を、変えるのはリスクのあることだ、という思いはより強くなりました。ほんのちょっとの変化で、全体が崩れてしまう、ということは、ありうることです。ドイツでは30年周期くらいで、ワイン造りになんらかの変化が起こります。ちょうど、世代の切り替わりのタイミングと一致するんです。親の代のものを、子が変えようとする。よくあることなのですが、そうして受け継ぐものを変化させるのが、よいことだ、とは私は必ずしもおもいません。そして、私はそのたぐいの変化病にはかからなかった」

筆者、数十年前のエゴン・ミュラーのワインボトルを手に持ったことはあっても中身をためしたことはない。それにエゴン・ミュラーのワインは、年月によって変わっていく。それは、今回、エゴン4世が、特別にもってきてくれた2007年ヴィンテージのカビネットからも感じた。2007年は2018年同様、ブドウがよく熟した年、とはいうのだけれど、香りはずっとスモーキーで、2018年の青リンゴを少し煮込んだような香りとは違う。いや、むしろ2018年ヴィンテージを2020年初頭に飲んでしまう、ということが異例かもしれない。だけれど、エゴン4世の言葉と、世間の評価を考えれば、エゴン・ミュラーはエゴン・ミュラーであり続けているのだろう。2018年を飲んでみると1947年、1959年1976年をおもう、とエゴン・ミュラー4世は言う。

もちろん、そうはいっても変化はある。それはむしろ環境の側だ。地球温暖化の影響は、北方のザール地区にも無縁ではない。

「25年前なら、収穫は10月20日くらいでした。いまであれば、10月10日くらい、というでしょう。けれど、2017年、18年、19年は3年連続で9月に収穫しています。その前に9月に収穫したのは2003年ですが、2003年は50年に一度の夏だと言われたのです。それで変わるのは、ブドウの色づきのタイミングです。かつては、8月20日くらいに、色が変わり、そこからアロマが発展してゆきました。ザール地区でもその時期は夏ではありますが、日は短くなり、太陽は低い。光合成は活発ではなくなります。わたしたちのリースリングはそこからアロマを蓄積し、ブドウは成熟しているけれど、アルコールは少ない、というワインを生み出します。2018年は、この色づきが1カ月は早く始まりました。7月だと日はまだ高く、光合成もおこなわれています。これによって、ブドウの性格は、変わります」

そういった変化にあってなお、エゴン・ミュラーとして、エゴン・ミュラーのワインを造り続けること。問題が提起され、それをエゴン・ミュラーとして消化する。それが、もしかしたら、変化ではなく継承を、自然なものとしているのかもしれない。なにせ彼は、そしておそらくエゴン5世も、リースリングの聖地、シャルツホーフベルクの一部なのだから。エゴン・ミュラーのワインはエゴン・ミュラーの血液みたいなものかもしれない。それは自然と受け継がれている。ああ、なんて、優美な血液なのだろう。今後も、目もくらむような高価な、幻みたいなエゴン・ミュラーが生まれ続け、憧れを喚起してくれることを願う。

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