バブル期の日本を成人した状態で体験した人には、「イタめし」とともに、記憶にのこっているであろう、キャンティというワイン。だけれど、今の人はそんなことはもう関係ないですよね。というわけで、新鮮な気持ちで、キャンティに出会ってみるのはいかがでしょうか。キャンティの偉人、マルコ・バランティ氏のワインとともに。

編集部に届いた「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」。エノテカで税別6,500円。セラーに保管して、セミナー前に抜栓した。夏なので、外に出しておくとボトルにはすぐに水滴がついてしまう。

あのころ、日本は踊っていた

日本のバブル景気がはじまったのは1986年の末からであるとされている。

バブルに愛された料理は、このちょっと前に日本上陸を果たしていた高級なフランス料理より、むしろイタリア料理だった。

1985年くらいから、それまではまだ珍しかったイタリア料理店が、日本でできはじめ、バブル景気の到来とともに、たくさんできた。フランス料理店よりも気軽で、値段的にも手頃なイタリア料理店が、なぜ、お金はあったはずのバブル景気に湧く日本で「イタめし」と呼ばれ愛されたのかは、推測するに、イタめしの付き合いやすいキャラクターが、調子にのっている日本の気分と、いい具合に調和したのだとおもう。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年公開)で日本製品がマーティのあこがれの対象になっていることを覚えているだろうか。日本はこの時期、なんとなく劣等感を感じていたアメリカやヨーロッパに、ようやく勝ったような気分になっていた。アメリカの若者はウォークマンでワムとかマドンナとかスピードワゴンを聞いて、トヨタハイラックスでデートした。日本の若者はシルビアとかに乗ってデートして、ピザとかパスタとかを食べにいった。そこでフランス文化にガツンとやられたい気分じゃなかったのだろう。

キャンティはこの時代の人々には、フレンドリーなイタリアの赤ワインとして、イタめしとともに記憶されている。でもキャンティがなんなのかはおそらくあんまりわかっていなかった。ちょうどそのころ、イタリアでは、キャンティがDOCからDOCGへと格上げされていたのだけれど、日本はエジソンは偉い人、そんなの常識、で、エジソンって何したんだっけ? そんな気分だった。

というわけでキャンティとはなにか。これは、トスカーナ州のフィレンツェとシエナのあいだの幅広い地域で造られている赤ワインだ。品種はサンジョヴェーゼが中心。19世紀に、単一品種ではなく、他の品種と一緒に醸造する手法がとられるようになって、美味しいワインとして国際的に有名になった、とされている。もっと詳しい話は、以前のこの記事をご参照あれ。

1980年代、キャンティのワインは品質が大幅に向上した。政情が安定し、物流が国際的になっているので、遠くバブルに湧く日本でもキャンティは知られるようになるのだけれど、キャンティのなかでも伝統的な産地、キャンティ・クラシコの生産者たちは、テロワールにかかわらず、安定的に美味しい、狙ったワインが造られることで、キャンティの個性が薄らぐのを危惧して、1996年、キャンティ・クラシコDOCGとしてキャンティDOCGから独立した。

そしてキャンティ・クラシコの戦いの結果、1000年以上の歴史を誇り、山や渓谷のおかがで多様なテロワールを誇るイタリアの銘醸地、キャンティは、専門家からの高い評価をうけ、優れたワインの産地としての名誉を取り戻すのだった。そのころ日本は、バブルもすっかりはじけ、バブル後にぴーひゃらぴーひゃらしていたジュリアナ東京すら、しばらく前に閉店していた。

そんなわけで、キャンティは、日本ではストイックなワイン好き以外には、よく知られていないのではないか、と筆者はおもっている。

75ヘクタールのつくりこみ

8月6日、エノテカが開催したキャンティの生産者、カステッロ・ディ・アマの現オーナー兼醸造家であるマルコ・パランティ氏によるオンラインセミナーに、「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」の2015年ヴィンテージとともに、筆者は参加させてもらったのだけれど、このマルコ氏こそ、キャンティのテロワールを素直にワインに表現することで、キャンティ・クラシコの地位をふたたび高めた立役者だ。

その偉人は画面の向こう側、抜けるような青空と波打つ緑の丘を背景にあらわれた。

マルコ・バランティ氏。カステッロ・ディ・アマを訪れ、作品を造ったこともある杉本博司氏の展覧会に参加するために来日を予定していたのに、今年は、新型コロナウイルスの影響で、日本に来れないことを残念がっている、親日家でもある。

マルコ氏の立っていたのは、キャンティのなかでは南、シエナに近いところにあるアマ地区で、キャンティ・クラシコのなかではもっとも標高が高いエリアだ。カステッロ・ディ・アマはそこに、75haの自社畑をもっている。カステッロ・ディ・アマの畑は北から、ラ・カズッチャ、サン・ロレンツォ、ベラヴィスタ、モンテブオーニと、4つの渓谷にわかれて存在していて、サン・ロレンツォとベラヴィスタの間に、ワイナリーがある。



このうち、ラ・カズッチャとベラヴィスタの畑のブドウの一部は、とくにブドウの出来がよい年だけ、単一畑のワインとして、4,000から6,000本だけ造られる。画面にはサン・ロレンツォの畑の向こうに見えるのが、ベラヴィスタの畑だということだった。手前のサン・ロレンツォと奥のベッラヴィスタとでは、畑の雰囲気がちがってみえる。

マルコ・バランティ氏が指差している奥の畑がベラヴィスタの畑。手前がサン・ロレンツォ

「サンジョヴェーゼはどこに植えるかで性格が変わる品種です。私は1982年からアマで働いていますが、最初はサンジョヴェーゼに合った畑はどこかを探して、そこにサンジョヴェーゼを植えてゆきました。いまは、適したところにサンジョヴェーゼが育ち、樹齢も高くなった。だから、均一にいいサンジョヴェーゼが収穫できています。カステッロ・ディ・アマは単一畑で有名になりましたが、それは、畑ごとの品質にばらつきがあったともいえます。」

現在は「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」という屋台骨となるワインを7万から9万本、造れるようになった。ちなみにこのワイン、サン・ロレンツォという名前がついているけれど、サン・ロレンツォの畑のブドウのみを使っているわけではなく、すべてのエリアのブドウから、よいブドウを選りすぐって使っている。サン・ロレンツォはこのワイン名ではブランド名みたいなものだ。

ブドウは区画ごとに分けて醸造して、ブレンドによって、「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」が生まれる。マルコ氏は話をしながら、サン・ロレンツォのサンジョヴェーゼが植えられているエリアへと移動し、畝(というかブドウ樹の列)のひとつへと進んだ。うねる斜面にブドウ樹が植えられているので、場所場所で細かく条件は異なり、植え方にもそれぞれ個性があるという。管理も、列ごとになされている。

列ごとに管理されているブドウ樹

色づきはじめている、サン・ロレンツォのサンジョヴェーゼ

「ちょうどいまサンジョヴェーゼがヴェレゾン(色づき)の時期です。35%程度の色づきですね。このぶんだと収穫は9月末から10月初旬になるでしょう。この数年、収穫量は多くなかった。今年は気候がよく、このままだと量が多くなります。今後、ブドウを凝縮させるために、ある程度、房を落とす必要がありますね。」

水不足の問題もないので、葉が青々としている。画面では暑そうだけれど、暑すぎることもなく、夜は20℃に迫るほど涼しくなるという。

「カステッロ・ディ・アマの特徴は寒暖差のある気候。そして、この硬い石灰岩の土壌です。」

とマルコ氏はしゃがんで、白っぽい石を拾い上げる。

「これが砕けて、徐々に砂のようになっていきます。この石灰の土壌が、アマのブドウにフレッシュでエレガントな性格を与えます。」



サンジョヴェーゼは土壌の影響を受けやすく、たとえば粘土質土壌などでは、まったくことなるサンジョヴェーゼになるという。

その後、たくさんのステンレスタンクが並ぶ醸造所を見せてくれた。発酵・醸造は基本的にステンレスタンクでおこない、ごく一部のワインのみ、マロラクティック発酵時に樽を使う。 酵母は自然酵母。発酵温度は30℃から32℃と高い温度で管理されている。

ワイナリーのなかにはステンレスタンクがずらりと並んでいる。

地下の熟成庫内にある「人体の中の光」という作品。中国のシェン・ゼンという芸術家によるもの。

熟成は地下の貯蔵庫内で進み、そのあたりから、芸術作品がカメラに映るようになる。芸術作品をワイナリーに置くところは少なくない。サン・ロレンツォは、世界の名だたる芸術家たちの作品を買ってくるのではなく、芸術家にカステッロ・ディ・アマに来てもらい、そこに滞在してもらって、作品をつくっていってもらっている。それには理由があって

「私はこの土地で、この土地のワインを造っています。この土地のどんなところに注目するかによって、ワインの表現は変わりますが、好むと好まざるとに関わらず、私のワインはここでしか造れない、この場所のワインです。おなじように、芸術家たちにも、この土地でしか造れない作品をつくってもらっています。」

そういって、フランスの芸術家、ダニエル・ビュランがつくったという、窓枠のような作品のひとつにマルコ氏は腰掛け、この日、筆者の手元にもあった「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」2015年ヴィンテージのテイスティングをはじめた。

畑とワインを結びつける

「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」2015年ヴィンテージは熟度とフレッシュさを両立し、カステッロ・ディ・アマのワインとはどんなワインかを知るにはちょうどよいヴィンテージだという。

グラスに注いで鼻を近づけると、完熟したブドウの香りと干し草のような香りがする。口に含むとピリっとした酸を最初に感じる。樽とタンニンの双方に由来するであろう渋み、後味に熟成の香ばしさとちょっとした苦味を感じさせる。全体的にエネルギッシュで若々しい印象だ。

マルコ氏は、長い時間をおかないと美味しくないワインは好きではなく、若い状態でも、しばらく寝かせても、美味しいワインが理想だという。だから「サン・ロレンツォ キャンティ・クラシコ グラン・セレツィオーネ」2015年ヴィンテージも、いまの赤いフルーツを感じさせるフレッシュな状態で飲んでも、タンニンはまろやかで、エレガンスを楽しめるとおもう、と語った。

筆者はしかし、これはまだしばらく寝かせてみたいとおもった。これから、さらにワインがまとまっていったら、さぞ素晴らしいことだろう、と想像せずにはいられない。



このワインが分類される「グラン・セレツィオーネ」は、マルコ・バランティ氏がキャンティ・クラシコ協会の会長だったときに、中心となって策定したものだ。2013年に制定され、最大の特徴は、自社畑のブドウを使う、という条件があること。広いキャンティ地区。よそのブドウ、ワインを熟成させたのでは、レゼルヴァは名乗れてもグラン・セレツィオーネは名乗れない。グラン・セレツィオーネはテロワールと結びつく。

最初はこのルールに反発する声のほうが大きかったという。しかし、現在はグラン・セレツィオーネを選択する造り手も増えたそうだ。最良のサンジョヴェーゼはスーパータスカンに使う、という定番のやりかたから、グラン・セレツィオーネにそれを使う造り手も出てきた。

グラン・セレツィオーネはまだまだ、きっかけに過ぎない。つぎは、この複雑にうねったキャンティの土地に、村名アペレーションのようなものができていってほしい。そうマルコ・バランティ氏は考えているそうだ。

キャンティは、広い生産範囲と、土地の条件によらず、さまざまな、そして十分に美味しいワインを造れてしまう、恵まれた環境のおかげで、つかみどころがなく、わかりづらかったのではないか。それが、テロワールの表現によって、複雑化するとともに焦点が結ばれれば、逆に、見通しがよくなる、そんなことになるのではないだろうか、と筆者はおもうのだった。

いまの日本には真面目なワイン好きが多いし、バブルの思い出なんてもっていない世代もワインを楽しむ年代にとっくになっている。これから、新鮮なワインとして、僕らはキャンティに出会えるのではないだろうか。